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『いま集合的無意識を、』神林長平

いま集合的無意識を、
神林長平
ハヤカワ文庫JA
2012.3.15
★★★★☆

 泣いた。

 まずは、短編の各あらすじの紹介。

「ぼくのマシン」

『グッドラック 戦闘妖精・雪風』の冒頭、昏睡状態から目覚めて間もなくの零とエディスの対話から導き出された時期の零の最初のマシンの話。“パーソナル・コンピュータ”ネタ。『戦闘妖精・雪風解析マニュアル』初出。

「切り落とし」

解離性人格的なサイバー世界の人格と殺人事件を絡めた話。比較的近い近未来の印象。『小説工房増刊号』初出。

「ウィスカー」

脱少年期とともに訪れる読心能力喪失の話。神林的な猫の記号とともに。『SFJapan』Millenium:00初出。

「自・画・像」

人工知能の話、なのだけれどあれ?あれ?とややこしさに煙に撒かれてしまう。『SFJapan』2007冬号初出。

「かくも無数の悲鳴」

『NOVA2』に掲載されたものを収録。

「いま集合的無意識を、」

神林流の伊藤計劃追悼作品。『SFマガジン』2011年8月号初出。

 泣いた、といってもお涙頂戴ものの感動エンタメストーリーではないです。淡々とした神林節はいつもの通り。すっとぼけたようなユーモラスさと、何かを偏愛する人々と、断絶と。神林ファンには説明は必要ないでしょう。
 おもしろいよ、とだけ。

 巻末には飛浩隆による「アロー・アゲイン」という文章が寄せられてます。この中で「ぼくの、マシン」の先見性に触れているけれど――。シンクライアント的なコンピュータシステム自体は汎用機のダム端末の時代からあるしクラウド的な考え方も80年代には登場していたもの。むしろパーソナル・コンピュータがスタンドアロンのシステムとして発達してきた80〜90年代が特殊でパーソナルを否定するものとしてFAFコンピュータ群を生み、その反動として「ぼくの、マシン」となったように見えました。先見ではなく逆行だったんじゃないかな、などと異論を思い浮かべつつ、けれど飛浩隆の熱い神林論にうんうんと頷きながら楽しく読めました。

 『いま集合的無意識を、』には痛切なメッセージが込められてもいました。一見の読者にはあるいは関係のないしらける内容であるかもしれませんが、国産SFを追いかけてきた人、現役のSF作家、SF作家になりたいと志している人にはぐっと来るであろうメッセージ。
 読みのがしてはいけない種類の人がいるのだと思います。

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