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『月と泥』大北紘子

月と泥
大北紘子
一迅社コミックス百合姫コミックス
2013.5.18

 大北紘子の二冊目のコミックス。『コミック百合姫』掲載の2012〜2013年の作品6本と描き下し12ページ、あとがきを加えた百合短編集。

絶望、諦観、羨望、孤独――。
光のミエル先に、
希望なんてなかった。

男なんて、みんな死んじゃえばいい。

大北紘子『月と泥』コミックス帯より

 インパクトのある帯がついていますが男性そのものの否定に直結するお話はありません。
 宿屋の娘とそこを訪れた少女の逃亡を描いた表題作「月と泥」。
 裏切った軍の同僚との再会の一コマ「六花にかくれて」では女性だけの国を作り、女性優位のイデオロギーの支配する世界が設定され、そのイデオロギーに反するヒロインが描かれてむしろ帯の文言の逆であったり。
 これまでの作風からは意外な甘さの「好き」が描かれる学園物「好きの海の底」。もちろんトゲもあるけれどでもそれを超えてしまう「好き」のある話。
 現代OL物の「しあわせにしてほしい」も正統派百合漫画な感じ。
 丘の上に暮らす憧れの年上の女性の元に足繁く通う中学生少女。華やかなお話に見えて、でもそれだけでもない「丘上の約束」。
 異世界的な設定の踊り子の日々を描いた「鎖の斬手」。描き下しの「鎖の少女たち」もこの話のスピンアウト。

 お気に入りは「鎖の斬手」+「鎖の少女たち」。
 大北紘子の設定する異世界感は独特で、けっして奇異な設定ではないのに強いオリジナリティを感じさせてくれるのです。「鎖の斬手」では舞台役者の世界が描かれるのですが、その芸能の中身、価値観、背景世界に私たちの世界とは少し違う独自の異文化が備わっている気配があるのです。事細かに技術や政治の設定がされている、というのではなく設定された世界の質感が濃い。空気が違う。色が違う。それは今回の『月と泥』に加え前巻『裸足のキメラ』を含めた現代物以外の話でも同様で、濃い質感とすっきりと整理された絵柄とが読者との間に微妙な距離感を作りつつ、けれど距離を保っていることにより感情も世界も強く鮮やかに見えてくるという不思議な魅力があります。

 百合漫画誌に掲載されていて設定やストーリー的にも百合であることは確かですが、「百合漫画」といったときに思い浮かべやすいものとはかなりの隔たりがあるはず。少女という華やかな性があり、少女という虐げられる性が描かれるものの、共感は奥深くに引っ込み、百合漫画のお約束パターンは排除される傾向にあります。センチメンタルな同情も、ぱっと見には登場するのですがどこか一線が引かれているかの印象。多分に百合漫画的ではないけれど少女というテーマだからこそ現れてくるモノ。百合という引き金を引いて打ち出されて来た少女漫画、が大北紘子作品なのではないかと思うのです。

 百合ジャンルから出てはきましたが、少女をテーマにした心に刺さる漫画として百合オタク以外の層にも勧めたいです。

 以下はネタバレ

 巻頭のカラー扉絵は「六花にかくれて」の二人ですが、このシーン、主役二人の脱走が成功して笹島が療養中のシーンであったりするのでしょうか。『裸足のキメラ』では表題作のワンポイントイラストが巻末近くでさらに心臓をきりきりさせてくれましたが、今回はほっとする展開がついた気がします。いや、しかし、この作者だとそう見せかけた走馬灯シーンかもしれないなどと思ってしまいもするのですが考え過ぎかな。

 描き下ろしの「鎖の少女たち」の中の「初恋」で王寺が身投げする時に握っていた小さな花束はもしや藤堂がこっそり贈ったものではなかろうかとかちょっと思ったり。音無が王寺とちょっと似ているから断鎖を受け、遊びにきたりするようになったのかもしれないなどとも思ったり。

 作者がどう設定しているのかは本当のところはわかりません。でも勝手な想像ながらゾゾゾとできてしまうあたりに大北紘子の魅力があります。単に裏設定としてそういうことがあるか否か、ではなく、想像させるチカラが作品の質感にある気がするのです。回顧シーンの中での鎖が華奢であるのもうつろいやすい舞踊文化であることを反映させているのかもしれない、なんて思ったり。

 実はスルメタイプの作風なんじゃないかな。

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