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アニメ『風立ちぬ』

 遅まきながら8/16に見てきました。
 『風立ちぬ』

 ネットで「物作りをする人間にはたまらない」「飛行機好きにはたまらない」といった感想を見ていたので、きっと宮崎駿自身の創作への思い入れや飛行機愛で埋め尽くされた映画なのだろうと思い描き、見に行きました。

 ネタバレありの感想となります。否定的な面も列挙してしまうので映画未見の方は読ない方が良いはず。

★ ★ ★

 新宿バルト9で見た。
 上映時間が長く感じた。正直、途中で集中が途切れかけた。近くの席に座っていた中学生くらいの男の子たちは明らかに退屈していた気配。映像も、シーンのひとつひとつも、飛行機も、ヒロイン・菜穂子さんも文句なしに素敵なのに、ストーリーがやや散漫に思えた。題材となったであろう堀辰雄『風立ちぬ』を読んだときの感じに近かったろうか。これまでの宮崎アニメではなかった。『ハウル』にはちょっとだけ近いかもしれない。けれど『ハウル』にあった幻想の華々しさはなかった。どういう面白さ・感動のある映画にしたかったのかがわからなかった。

 飛行機づくり、ものづくりの魅力と恐さ。二郎と菜穂子のラブストーリー。この二本の柱で作られていることは間違いない。ストーリーははっきりと恋愛物で、宮崎駿としては珍しく真っ向力技のラブストーリー。ことに終盤の二郎と菜穂子はこれでもかと涙を誘いにきた。

 登場させる飛行機の選択も「ああ、宮崎駿だ……」と思える(飛行機オタクとしては)ポピュラーでありつつ魅せ方にマニアさも香り、見終えてから調べものをしてみると「おお。おお。おおおお」というオマケも当然のようにある。
 なのに工学者としての二郎のセンスを魅せる場面がよくわからない。『紅の豚』同様、ベテランに唸らせることで新米のセンスをわからせようという方法が今回の『風立ちぬ』でもあるが、技術者にフォーカスした割にベテランが何に感嘆したのかを伝える気がなく思わせぶり止まりで工学部出身者的に「ちょっ、どこに共感すればいいんだよぉ」となってしまう。吉村昭や柳田邦雄の技術ドキュメンタリや谷甲州の技術SFから立ち昇る工学モノの肌触りが、ない。もちろん、工学という意味でもマニアックなはず。応力計算、フランジ、計算尺、サバの肋骨の曲線、弁丸出しで力強く歪むエンジン、震えしなる翼、固定ピッチペラから可変ピッチペラへ。なのに私が工学部で夢中になって触れてきた技術の面白さの一番おいしい何かが、どこかに隠れてしまっていた。飛行機好きが外側から見た飛行機の面白さはあっても機械工学の感触がない……。
 ここにきて何を遠慮してる、宮崎駿。雑草ノートには確かにあった気配が消えているぞ。

 恋愛物としては、シーンひとつずつは力強いし全体で見て宮崎アニメ最強の恋愛物であることは確かだけれど、飛行機パートと恋愛パートがちぐはぐだ。菜穂子のサナトリウム描写も当時の珍奇な治療法ばかりが印象に残った。紙飛行機で通じさせる想いも技師らしい精巧な作りのペーパークラフトと落っこちそうなハラハラドキドキが印象に焼き付けられて「菜穂子さんはこれで楽しいの?」となってしまう。余命を悟って激務の中わずかでも共にいる時間を選んだ二人であるのに、肺病の妻の隣で「タバコが吸いたい」と言い出してしまう二郎。菜穂子の側から「タバコを吸うあなたが見たい」「あなたの吐いた煙が愛しい」といった前振りをしていれば説得力ある名シーンだったのにそれをしないために二郎の行動に共感を持ちづらく喫煙者の身勝手さが表面に出たように見えてしまった。菜穂子が「うつるわ」と形ばかりにしても触れ合いを留めたこととの対称が崩れてしまっていた。二郎と菜穂子が死に直面した恋愛を展開していることは頭を使えば理解できるけれど、問答無用で肌でわからせる宮崎アニメであって欲しかった。
 設計者としての正味の「十年」。妻との時間も十分に取れず、戦場に命を散らさせる機械に集中した「十年」は少年の日の志の残り火でしかないように思えた。風が立ったのは幼少の頃の二郎であって、以降の二郎はただ駆け続けていただけに見える。あまりにストーリーにノレない。ストーリーが見えない。要所要所の演出の強烈さがあだになってしまっていた。こんな宮崎アニメ、初めてだ。
 けっしてつまらなくはなかった。むしろ良かった。Blu-ray出たら買う。かつての日本映画が持っていたすっきりさっぱりしない矛盾と解決しない葛藤の魅力が現代のアニメの中に立ち上がってきている。堀越二郎や飛行機を盛り込んだのはあくまでも監督の趣味で、堀辰雄の『風立ちぬ』の映画化だったのだろうと思う。飛行機に魅せられ国の滅びと道行きを共にし、妻を孤独のうちに死なせ、死後の妻が夢の草原で自分を待っていた幻想を見る二郎の身勝手さは宮崎駿自身の自画像でもあるかもしれない。
 この先、そう何本も作品を作る時間が残されていないであろう——少なくとも監督自身で絵コンテを切り丸抱えで作れる作品のタイムリミットは目前だろう宮崎駿の、代表作は更新されなかった。宮崎駿ファンとしては、彼が好きなもの作れて良かった、と喜ぶべきかもしれない。失われた戦前の生活、ピラミッドを構成する社会、戦争、テクノロジー、ただ駆け続けること、とメッセージはてんこ盛りだ。こうして長文の感想を、観た人々が綴るのであれば大成功なのかもしれない。

 不満の感想が多くなってしまったけれど鳥肌のたったシーンだってあった。たくさん。しかも鳥肌度がすごかった。例えば七試艦戦のエンジン始動シーン。手動式のイナーシャを回して始動前のうなりが上がるのだけれど、それが“呪い”“化物の目覚め”のようでゾクゾク来た。効果音を人声で吹き込むシーンを多用したそうで、それがもっとも効果的だったのがココと津波のような関東大震災のシーンだったと思う。夢の中で翼上を歩くシーン、靴底が機体外板を歪ませていたのだって足の裏に感触が生まれそうな錯覚を覚えた。数え上げればきりがない。素敵なシーンはいくらでも挙る。

 滂沱の涙を流したという感想も見る。確かなのは、観なければ文句の言いようも、涙の流しようもないということ。

★ ★ ★

 映画誌『Cut』が「宮崎駿はなぜ、はじめて自分の映画で泣いたのか? 「風立ちぬ」三万字インタビュー」なる特集を組んでいて興味深く読めました。

 映画の前でも後でも良いけれど堀辰雄の『風立ちぬ』と『菜穂子』も読んでおかれることを勧めます。

青空文庫堀辰雄作品リンク

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