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杓子稲荷神社

狐面 FinePixF10 1/105sec F2.8 8mm ISO200 杓子稲荷神社の庚申塚です。
 庚申塚は世田谷近辺ではあまり見ないような気がして物珍しく感じました。比較的近いところにあるお稲荷様なのですが、住宅街の細道の先にあるためか、昨日、初めて見つけたのでした。

 神社そのものは周囲をぎっしりと住宅に囲まれていて、鳥居が三つと昭和前半風の普通の住宅のような社があるだけなのであまり面白味はないのですが、一角にあったこの庚申塚が目を引きました。

 お稲荷さんらしく狐のお面なんかがかかっていたり。被ってみたいようなおっかないような。

 ここ、杓子稲荷神社は由緒のあるお稲荷様だそうです。

杓子稲荷神社記
御祭神 倉稲魂主(うかのみたまのみこと)
室町時代、足利管領のき下にあって権勢関東に響いた吉良治部大輔治家は、統治世田谷に城を築き、その鬼門鎮護としてこの地に伏見稲荷を招請、奉斉し厚く信仰しました。その後およそ二百年を経た天正十八年、吉良氏は当時婚姻の間柄にあった小田原北条氏と運命を共にして、豊臣秀吉の軍門に降り、当神社もまた衰滅に帰しましたが、後年松原宿の住民をはじめとする里人の再建、信仰するところとなり今日に至りました。なお、徳川幕府による元禄年間の検地水帳にも当神社の所在は記されており、その鎮座のいかに古きかを知ることができます。
(杓子のいわれ)杓子の食物を掬うは救うに通じ、総ての病難、災難を払い、福徳円満、長寿開運、万福招来の象徴であります。
御神徳 五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としてあまねく信仰をあつめております。

 沿革を記した看板にはこう書かれていました。

 『杓子稲荷神社 その2』の記事もあります。

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