ちちぶ銘仙館見学記
ちちぶ銘仙館へ行ってきました。
西武池袋線の終点・西武秩父駅で下車し、徒歩五分。埼玉県繊維工業試験場と看板の残る建物は歴史を感じさせます。佇まいだけでもすでにアタリの予感ですが、門前で機音が漏れ聞こえて来た時点で「来て良かった」と予感は確信に変わりました。
入場料200円也を払って機音の聞こえてくる方向へ足進めてみるとこんな光景が。織機は白木も鮮やかな新しめのものが多かったですが、並んでいる織機の大半が実稼働中であることを示すように綜絖に糸が通されています。こういう光景が見たかったのです。
ああ、来て良かった。
私が見学に訪れた時にはこの写真の一番奥で女性が一人、機に向かっておられました。近くには手を藍に染めた白髪の男性が。床を見るとふつふつと泡を浮かばせている藍瓶がありました。
先生、と呼ばれてらした男性は藍に染まった指先のまま色々説明してくださいました。銘仙というのは絹ではあっても比較的求めやすい庶民の絹織物であったこと。平織りの染め物なので少し古くなっても表裏両面が使えたので二倍長生きする着物であったこと。手織りの技術は一度失われれば途切れてしまうこと。そして現在、手織りの技術を伝える場が次々と失われていってるということ。etc、etc。
動いている織機の写真も撮ったのですが、作業中に広角レンズで間近に寄るわけにもいかないので説明写真は作業者がお留守の織機から。
写真は織りかけの織機を真上に近い斜め上から見下ろしたところ。左上奥に人が座ります。
写真右下側がまだ折られていない経糸(たていと)の状態です。
鉤で吊られた木枠二つが綜絖(そうこう)で二枚綜絖は平織りを示しているはず。折り目が密で丈夫なので、普段に着られる絹としての銘仙は平織りなのでしょう。経糸を透かした下には綜絖を上下させるためのペダルが見えます。
二枚綜絖の左上に横切るのは筬(おさ)。そしてその向こうには織られた布が姿を現します。
布の上に置かれているのは杼(ひ=シャトル)。
杼のちょっと上には呼び鈴の握り手みたいなものが鉤の影に隠れていますが、これは杼を左右に(半自動で)飛ばすための工夫だそうです。明治期に登場した発明だとか。この動作は言葉での説明が難しいです。
印象に残ったのは布に与えるテンション。織り上がった布を巻き付ける横木を回し布に張りを与えるのですが、かなりギリギリギリという感じで締め上げます。実際に織っているところを見なければわからないことってたくさんあるんだと、見に来て良かったなと、心から思ったのでした。
アジアの生活水準が上がり、アジアからも一次・二次産業としての繊維産業が駆逐される時には、次はどこの地域が「世界の工場」になるのだろう。今、労賃の安いアジアの国々もその頃には失われた染織文化を振り返り、惜しむのだろうか。
力織機への転換が始まる直前に隆盛した銘仙の織りを見て、そんなことを思いました。
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