映画『スカイ・クロラ』
ネタバレありの感想です。
否定的なことも書いています。
森博嗣の原作『スカイ・クロラ』シリーズは私にはつまらなかった。
飛行機に、飛行シーンに少しも魅力を感じなかった。
文章も『すべてはFになる』から進歩しているようには感じられず、設定もキャラも何がよいのかわからなかった。
投げ本だと思った。
「なぜこれを映画化するんだろう」と思った。
2008年の夏、劇場で押井守の手による『スカイ・クロラ』を見た。
空がきれいなアニメだった。
雨の中を飛ぶ飛行機もきれいだった。
遠くの空からゆっくりと大きくなってくる飛行機も気持ちよかった。
そして『うる星やつら・ビューティフルドリーマー』の再来だった。
映画公開前のプロモーションでは「僕は今、若い人たちに伝えたい事がある」という言葉が強調されていた。映画を見ていて途中までは確かに「なるほど」と思えた。けれど最後の空戦シーンでプロモでのメッセージから得た期待は粉々に打ち砕かれる。押井守は若者たちに夢や希望を与えたかったので はなかったのだろうか。
「君は生きろ、何かを変えられるまで」
希望の台詞。それは直後に徹底的に粉砕される。「若い人たちに伝えたいことがある」というコピーを頭の片隅に置いて映画館に来た“若い人”たちはスローモーションで叩き込まれるモーターカノンと血に染まるキャノピガラスにぽかーんとしたことだろう。上の台詞のシーンは「バトンは託された」ということなのかもしれないけれどこれで腑に落ちるだろうか。
この山場近辺、原作小説とは大幅にシナリオが違っている。映画の方がずっといい。けれどこれが五十代後半の監督の「若い人たちに伝えたい事」なのだろうか。宮崎駿は『もののけ姫』の中で「共に生きよ」とアシタカに言わせているが、押井守の場合は「ボクは死ぬけど君は生きろ」となるらしい。
繰り返されるループは押井アニメの重要な要素のひとつで、『スカイ・クロラ』も紛れもない押井アニメの典型ではあるけれど、ループからの脱却トリガとなるのがこの「君は生きろ」という台詞であるはずだ。けれどこの言葉ととはシナリオも演出も一致していないのではないだろうか。現実感の喪失、ループ、オルゴール。押井アニメでお馴染みのイメージはどれも耽美で破滅的だ。そこに「君は生きろ」とメッセージを乗せようとしても「ボクは死ぬけど」以外のシナリオを取りようがないのだろう。主人公とヒロインが「大人を打ち破ったんだ!」と手を取り合うストーリーは押井守ではありえないのかもしれない。
あるいはこの言葉は監督からの別離の言葉なのかもしれない。普通ならば観客は主人公に感情移入することが前提だけれど、この主人公は監督であって、ヒロインたる“若い人”=観客たちに「あがけ」と伝えたかったのか。
昨夏、劇場でそんなことを思い、繰り返し見れば印象が変わるか、とこの土曜日には『スカイ・クロラ』→『イノセンス』→『スカイ・クロラ』と眺めていたのだけれどやっぱり印象はそのまま。
自宅で落ちついて眺めると「飛行シーンがさびしい……」と思えてしまう。震電やTa-152?153?(フォッケウルフ190の発展型)とよく似た飛行機それそのもは格好いいし、3DCGを追うカメラワークも美しく見映えするけれど、この見せ方をするならジェット機でも良かった、と思う。
ロケットのように垂直上昇しながら加速を続けてしまったり、位置エネルギーと速度の交換やそれに伴う旋回効率差を利用した空戦技術を使わずに必殺技でカタをつけるレシプロ空戦はコンピュータゲームみたいだ。
もちろんそれは悪くない。映像には映像の要請がある。派手な必殺技は目で見ても楽しい。
それにマニアな描写だってもちろんある。例えば冒頭で散香(震電風)がティーチャに撃墜されるシーンではベイルアウト直前にプッシュ式のプロペラが飛び散るが、これはたぶんモデル
になっている震電のプロペラの自爆装置描写だろう。脱出する乗員を巻き込まないための装備で、自宅で幾度か繰り返し見て「なんだこれ?」と思って調べて
ようやく気がついた。他にもマニアなネタは詰め込めるだけ詰め込んでいるに違いない。
でもそんな小技はあまりストーリーに関係がない。
――と思ったところで腑に落ちた。
そうか。これは恋愛映画だったんだ。
と。だから空戦では原作通りに失速反転なんて荒っぽい技を乱発するし、模型のような見せ方もする。空戦シーンはメーターはきっちり動かすしメカ描写も凝ってはいても非現実を訴える役割なのかもしれない。『イノセンス』がバトーの人形愛映画であり、ガンアクションがおまけであったように。
主人公がホストみたいに車のドアを開けてみせたり、似合わないタバコをしきりに吹かしていたり、何かと理屈を付けてヒロインと行動しようとしたり。キルドレという永遠の子供という設定ではあっても、彼らも青春しているのだ。つきまとうループは若さを押しつぶそうとする退屈な大人社会の象徴だろうか。
とっても格好の悪い恋愛映画だ。
でも青春って格好悪いし、冴えないよね。本当は。
批判的なことばかり並べてしまったけれど、でもやっぱり押井守の映像が好きだ。
もう『天使のたまご』 のような映像は作らないのだろうか。
願わくば次の映画ではもう少し見映えのするキャラクターデザインになりますように。
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