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『「少女」の社会史』今田絵里香

「少女」の社会史
今田絵里香
勁草書房
3465円
2007.2.17

★★★★☆

 堅めの内容ですが、とても良い本でした。

  • 百合創作に携わる/志す人
  • 「少女」という言葉に惹かれてやまない人
  • 戦前の少女雑誌に関心のある人

にお勧め。

 『少女の友』を中心とした戦前の少女雑誌を対象に調査し、統計を取り「少女像」の成立と変遷を追います。明治期に成立した近代都市文化の中で形作られていった少女像を丹念に抽出し、丁寧に地道に浮き彫りにしていきます。各章、節ごとに前段をまとめ、反復していくので楽しむための読み物としてはちょっと煩雑に感じるかもしれませんが、腰を据えて読み進めていけばこの本はとても強力な「近代少女像」の教科書となるはず。
 もちろん、この本の中での少女は少女雑誌から映し出されたものではありますが、それでも当時の少女世界を垣間見る貴重な手がかりです。
 当時の「少女」を語る上で重要な“エス”についても第六章で詳しく取り上げられていました。分析の媒体が少女雑誌であったということもあり性については控えめですが。少女雑誌全盛期の女学生たちは現在すでに90歳超。女学校出身でエスのパートナーのいた人を見つけ出すだけでも困難そう。エスの実際の中身については具体的にどんな関係であったのかわからないままになるのでしょう。ペアそれぞれのエスの形があったでしょうし「普通」というのはあってないようなものであるのは今も同じかもしれません。
 百合スキーな人には巻末に記された参考文献も宝の山になると思います。

 この本を読みながら思い浮かべていたのは「『百合姫』は現代の『少女の友』になれるのだろうか」ということでした。情報の溢れる現代、少女雑誌はもはや当時のようには機能し得ないかもしれませんが、マイノリティであっても規範として少女を形作る容れ物になりえないだろうか、と。創刊当初には載せられていた小説は姿を消し、読者欄も戦前の少女雑誌のような熱気には程遠く――と思ったのですが、『少女画報』の「薔薇のたより」という読者コーナーが紹介されているのを見てコレダ!と思いました。可能性はありそう。
 そして何より当時の少女たちが羨ましく思えたのは「文章による交流」でした。そんな文化をなんとか現代の少女たちの間に(細々とでも)再興できれば素敵なのに。ブログやケータイメールで交わされるのは確かに文字コミュニケーションなんですが、ナンカチガウ気がしてなりません。

 人文系の学問は楽しそうです。著者はきっと「少女」というイメージに魅せられてこのジャンルの研究者になった人なのだろうな、とほっこりとした気持ちにもなれた本でした。
 この著者の視点では現代の百合物はどんな風に見えているのだろう、なんて思いました。

★ ★ ★

 『「少女」の社会史』を読んでもうひとつ思ったのは『マリみて』がほとんど完璧なエス小説であったという事です。“スール”という制度はエスにおける姉妹関係そのもので、多少アレンジがあるのが姉と妹は一対一でなく、妹はさらに妹を持てるということ。女学校でのエス姉妹は妹にとっては姉のみなんですね。ですが、それ以外は純潔主義も教養主義も完璧で、スールの姉妹が相互に支え合うことで互いを高め、相手を全受容する。同性愛→男性を排除した関係→女性の自立、とは進まずに(一応の完結を見てもヒロインが在学中で描かれないが)、心と心で結ばれた永遠の少女ネットワークを構築していく。
 改めて感動してしまいました。すごいぞ。『マリみて』。
 現代では恋愛結婚が当然の世の中になり、女性も男性に頼らずに生きていく事が可能となったために、現代版エス小説にオチをつけるとなると「女性の自立」や「レズビアンとしての生き方」に繋げずにまとめることが難しかったのでしょう、エス小説から逸脱してしまうそんなエンディングは示されないまま一応の完結を迎えました。
 この後を描くべきか否か。「女性の自立」や生き方としての「同性愛」を描く以外に示せる道はあるのか。
 ここを納得の行く形で示せる作品が次代の『マリみて』になるのかな。(2009.4.27追記)

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