« 『楽園 Le Paradis』Tome3 | トップページ | コバルトノベル大賞応募 »

『大学論 いかに教え、いかに学ぶか』大塚英志

大学論──いかに教え、いかに学ぶか
大塚英志
講談社現代新書
2010.3.18
777円

★★★★☆

 日経サイエンスの書評欄だったかな。失念してしまいましたが紹介されていたのが面白そうだったので読んでみました。民俗学、少女論、創作論、オタク論に小説、漫画原作と多彩な活躍をする大塚英志が大学のまんが専攻の先生をして、奮闘する話です。その奮闘の中から「学ぶってなんだ」というのを浮き彫りにしていきます。

 読んでいて「いいなあ。このまんが学科入りたい」と思う反面、教育機関を整備してしまって良いのだろうかという疑問も生まれました。確かに漫画家を養成するのであれば漫画の歴史や映画との関係を知り、手法の翻訳を実践してみるのはとても役に立つことなのでしょう。漫画の現実はコンテンツ産業という一産業の中での工芸のような仕事なのでしょう。

 けれど大塚英志自身が

カリキュラムができあがり、カリキュラムごとに教員の役割をリセットし、幾人かの学生をちゃんと「先生」になれるよう「つくった」ら、ぼくは今の大学に確実に関心がなくなるだろう。

大塚英志『大学論』 第四章つくり方を「つくる」ということ P.80より

と書いていて、これは著者自身が定型化されたコンテンツ供給システムの一部になることを拒んでいるように思えます。上記引用部分は章題の通り「つくり方」そのものを作っていく話なのですが、その基本的、というより原始的なプロセスを自作することそのものが創作内容に直結するんじゃないだろうか、外からプロセスを誘導して大丈夫なのだろうか……なんて頭を過りました。

 大塚英志は学生時代を振り返って民俗学に思いを馳せ、どう学んで来たかを構築中のまんが科カリキュラムと結びつけます。なるほど、作者が学生相手に奮闘して来たこのプロセスは確かに大学のあるべき理想に近い「学ぶ」があるのかもしれませんが、完成したカリキュラムが学生を送り出すようになってしまったら既存の学問と同じ象牙の塔になってしまいそうな気もします。

 大塚塾というほど一色でもなく、「つくり方をつくる」真っ最中の熱気の中から巣立っていった生徒たちは今頃どんな活躍をしているのでしょうか。大塚英志には十年後でも二十年後でも良いので、卒業生たちを追った『大学論』の続編を書いて欲しいような気もします。安彦良和の目から見た同じまんが大学の光景というのも知りたい気がします。

 改めて、大塚英志は小説や原作をした漫画より××論といった著作の方が面白い、と思いました。

 AO入試ってコワイなぁ、とも思った一冊でした。

|

« 『楽園 Le Paradis』Tome3 | トップページ | コバルトノベル大賞応募 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。