『高校生のジェンダーとセクシュアリティ』
高校生のジェンダーとセクシュアリティ
須藤広(編)
明石書店
2002.10.16
★★★★☆
タイトル通り、高校生に向けて書かれたジェンダーとセクシュアリティの本。ジェンダーって何? セクシュアリティって何? というところから、高校生が直面している性の健康の問題、フェミニズム、性的マイノリティ問題までを幅広く紹介。日米中の高校生たちを対象にしたアンケート調査なども含め、高校生の性の現実と課題を五人の専門家が五章構成+αにまとめたもの。
以下に目次を引用。
第1章 高校生のジェンダー意識についての国際比較 須藤廣
第2章 高校生の就業意識とジェンダー 窪田由紀
第3章 高校生のジェンダーとセクシュアリティの現状 劔陽子
第4章 産婦人科医から見た思春期のセクシュアリティ
第5章 トランスジェンダーの社会学 鈴木健之
グループ討議 高校生と語るジェンダーとセクシュアリティ 三村保子/力武由美 ――さまざまな“性”と“生”を自ら選びとるために
コラム
高校生のジェンダーと親子関係 野依智子
思春期の性 大庭智恵
『高校生のジェンダーとセクシュアリティ』目次より
トータルとしては「ちょっと物足りない」でした。
第1章と第2章はフェミニズム寄りの視点から。第3章と第4章の内容はかなり共通していて比較的な生々しい現実の問題、フェミニズムや思想からは少し距離のあるフィジカルな内容です。狭義のセクシュアリティ(ジェンダー的視点に寄った)を期待して読みはじめたので広義のセクシュアリティ——ヘテロセクシュアル前提のリプロダクション・ヘルスに属する話題は「あれれ?」でした。でも、高校生に向けた「性」の本ならば、これで良いような気もします。
ジェンダーを扱った本を読んでいつも思うのは「なぜ、世界と敵対してしまうのだろう」ということです。ジェンダーだけじゃないかな。在日外国人差別問題や少数民族問題、障害者問題、つまりマイノリティを取り上げた本では必ず今の世の中を敵視し否定するところから始まる本が多い気がします。大勢から現実に弾かれているから、疎外されているからそれを批判する声を上げるのは当然——ではありますが、対立構図を描いてしまってはマイノリティの意見がメジャー化した暁には、今度は逆方向の差別・偏見の温床になってしまいそうな気がして受け容れ難い。もちろん、この本の中でもかつての攻撃的なフェミニズム運動が問題を生んだことは紹介されていて、むやみに煽り立てることには批判的ですが、やはり筆者らが「迫害されている特別な立場」をアイデンティティにしているように見えてしまう記述も1、2、5章からは感じました。
男性社会におけるヘテロセクシュアルの“男らしい”男性(=マジョリティのど真ん中にいそうな人)であっても「男性原理万歳。世界は俺を祝福しているぜ」なんて順境に感じているとは思えないのです。誰にとっても敵はどこにでもいる。だって、エゴが100%充足される現実世界なんてどこにもあるわけがないのだから……。などと思ったのでした。
私が読みたかったもの、期待に近い、と感じたのは1、2、5章で、多少物足りない気はしたのですが、高校生が初めて手に取るジェンダーやセクシュアリティの入門書としては逆に重かったかな、とも思います。男らしさ女らしさの話から社会に置ける役割分担の話はロジックの繋がりがすっきりとせず、男女平等という結論が浮いてしまっていたような。
同性愛についても取り上げられてはいるのですが、私がこの本に期待した「高校生になって同性愛的な自己の感情に直面し、悩んだ時に読む本」としてはあっさりしていて用語の解説と基本的な概念の紹介に終わっていたのが残念。
巻末の高校生を交えたトークは高校生のセクシャリティの現実を感じられたし、紹介されていた書籍類も収穫にはなりそうなものの手放しには褒めたくないかな。でも「考えるファーストステップ」としての役割は十二分に果たしていると思います。ジェンダーやセクシュアリティに興味を持ちはじめた方にオススメ。
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