映画『コクリコ坂から』
ジブリ映画の『コクリコ坂から』を見てきました。
原作は1980年の少女漫画だとか。
主人公は松崎海。下宿の世話係も兼任の高校生・海(愛称:メル)はある日、学内誌“カルチェラタン”を発行している風間俊と印象的な出会いをする。“カルチェラタン”——老朽化したクラブハウスの取り壊し計画を阻止すべく行っていたデモンストレーションで屋根の上から目の前の池に飛び降りてきたのが俊だった——と始まる恋愛ストーリー。
良かったポイントはレポ漫画に任せて気になった点など。
海、船、経済成長期、“戦後”が色濃く残る学生文化、学生運動を感じさせる自治意識、と昭和ノスタルジーを前面に押し出したジブリらしいお話でした。この昭和中頃の香りは現代の若者たちにどう感じられるのだろう。
“カルチェラタン”取り壊しの危機に際して「古いものを壊すのは過去の記憶を捨てることと同じ」というようなセリフが登場しましたが、これが作り手側の懐古趣味の自己弁護っぽく響いてしまい「海も俊も高校生なのに……」と釈然としない気持ちになりました。伝統を愛する若者がいたっていいけれど、未来は?と。海も俊も将来の志望はあるようですがそこには焦点が合わされないまま、歴史ある“カルチェラタン”を守ることと海と俊の出自を辿るという過去に向かう話で物語は進みます。未来に向かうために過去を整理……ということなのかな?
最後は「めでたしめでたし」なのですが、素直に良かったと思えないのです。だって「めでたし」になる前に発されたインパクトのあるセリフの、その前提が失われてしまうのです。フリダシに戻った二人の間に、恋は成立するのだろうかと心配になります。
演出の面では考えることを求められる場面が多かったです。シーンの切り替えで状況が途切れる演出が多く、合間ではこういうことがあったんだ、と頭の中で想像し納得しながら次のシーンを見ている状態になって没入感が得にくい作りになっていました。納得の行かないシーンはなかったのでこの没入させない作りは意図的なものなのかも。海の呼び名が前置きなくメルになっていたりするのもこの一部でした。「海と俊の関係の変化を象徴しているのだな」と頭の中にロジックが働くわけです。観客をがっちり掴んで引きずり込むなりふり構わない力技の宮崎父と距離感を保つ宮崎吾郎監督。技量の差なのかもしれないけれど、スタンスの違いのような気もします。
不満も挙げちゃいましたが、トータルでは「良かった」です。
前向きで悲壮ぶらない誠実な登場人物たちを見て、こういう青春を過ごせれば良かったのに、という気分で胸いっぱいになりました。
『ゲド戦記』で不評であったらしい宮崎吾郎監督。『ゲド』でも私は割と楽しめた方なのですが、今回の『コクリコ坂から』で評価も挽回できたのではないかと思います。ジブリ作品の中で一番雰囲気が近かったのは『海がきこえる』かな〜。
DVD/Blu-rayも出たようです。映画版『コクリコ坂から』
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント