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『一般意志2.0』東浩紀

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一般意志2.0ネタ四コマ

一般意志2.0
東浩紀
講談社
2011.11.22
★★★★☆

 刺激になった! とても。

 読みながらつけていたメモを元に内容紹介を試みようと思います。斜体の小さめの文字はその時々で思ったことです。




ルソーの一般意思のベタな解釈。エッセイであり“夢”である、と。


第一章

ルソーの「社会契約論」の説明。全体主義、ナショナリズムの起源が民主主義の起源でもあることとの矛盾→集合知、群れの知恵という考え方から理解。


第二章

ルソー:ひとは自由で孤独な存在。集団生活を行い社会を作らざるをえなくなり「社会契約」を結ぶ。「自分の持つすべての権利とともに自分を共同体全体に完全に譲渡すること」。個人の意志の集合体である共同体の意思=一般意志。市民は一般意志に絶対服従しなくてはならない。社会契約→共同体の誕生→統治者の選定、の順で統治者に絶対服従することではない。

一般意志というのは「運命」の別名みたいだ。

一般意志は数学的存在である。

まだ具体性低め。そもそも「数学的存在」じゃないものってなんだろう。頭の中で起こっていることもニューロンのパターンと考えれば感情も妄想も数学的に扱えてしまう……。


第三章

ルソー:部分的結社の禁止。小さな都市国家での直接民主主義を理想として、代議制を必要悪と考えた。また、十分な情報を与えられた市民は市民間の討議や意見調整もしない方が良いとする。

ベタに解釈するといいつつ後世登場したベクトルetcの概念に当てはめてしまうのはアンフェアな気がする……。

部分結社は人々の意見を結社の数だけに制限する。意見の数が減少は一般性の程度も減少させる。統計的に離散していることより分散していることを重視。市民の間の意思調整は差異を減少させ一般意志を不確かなものにする→政治にコミュニケーションは必要ない。

政府etcあらゆる権力に不信を感じる身としては興味を惹かれた。東浩紀の主催するコンテクチュアズはルソー的には結社になってしまわないのかな、とふと思った。

おたくくさいルソー。都市の喧噪やコミュニケーションを嫌い、性的倒錯者で、ひきこもりでロマンティックで繊細で被害妄想気味で。コミュニケーションなしの政治へとつながる? ひとがひとの秩序(コミュニケーション)から自由になり、モノ(数学的に導きだせる一般意志)の秩序に従う世界。


第四章

敵と味方を分割するのが政治(シュミット)。コミュニケーションの外にある一般意思は敵味方の分割線を作らず、シュミット的には政治の定義に外れる。


第五章

Twitterなどのソーシャルメディアを例に無意識の欲望パターンの抽出を可能だとする。一般意志とはこのデータベースのこと。

「とりあえず手の届きそうなデータを一般意思としてみよう」な感じ。

「一般意思2.0」はルソーのオリジナルの考え方を総記録社会の現代に緩やかに当てはめたもの。オリジナルは人々の心に刻まれたもので実在しないが2.0はライフログの総体で導きだせるデータ。

実在するモノに一般意思2.0と名前をつけた、ような。

現代ではアーレンとハーバーマスが思い描いた公共圏はない。議論の場そのものが共有できない。→テロリズムの台頭=熟議の場そのものの否定。私的利害の調整しか行わないように見える一般意志2.0の方が生産的議論の場を成立させ、ひとりひとりの選好を変容させる可能性?


第六章

政府2.0は市民の明示的な意思表示(=全体意志)ではなく集合的無意識=一般意志にこそ忠実であるべき。世界を単純化し捉えるための技術がGoogle。けれどネットで不快な情報を遮断することは心の動揺を遮断してしまう。一方でネットでは「友達の友達」六つの連なりで世界中の人が繋がっている。私的利害の島宇宙は意外に容易に心の動揺を呼び起こせる可能性がある。


第七章

グーグル・サジェストを例に、大衆の無意識を抽出する例を紹介。無意識の可視化装置としてのネット。意味を斟酌しないGoogle。フロイトのグラフ理論的ネットワーク図。


第八章

総記録社会は監視国家化やネオリベの可能性だけでなくきめ細かな福祉を可能とするかも。市場原理主義とも社会民主主義とも結びつく中立のイデオロギー。政府が人民を支配するという常識を覆す国家像、社会像をルソーと情報技術を元に考える。公と私の対立を乗り越える共のプラットフォーム。全体意志(公)と特殊意志(私)と無意識の共(一般意志)を情報技術によって吸い出すことで統治の基盤とする政治。ヘーゲルはルソーの一般意志を特殊意志の総和であるとする点を批判。個人の意志の集合が自らを反省し再帰的に捉え返し、ひとつの意志として実体化した物であるべきとする。一般意志の概念の神秘化。

図8-2がよくわからない。複数の一般意志1.0ってなんで公になっちゃってるんだ。「一般意志」≠「一般意志1.0」で「一般意志1.0」はヘーゲル的というか近現代社会で一般意志とされてきたもののこと? ちょっと混乱したよ…。

#追記 p.89で「1.0」がルソーのオリジナル、と書かれていた。う〜ん。やっぱり混乱。

来るべき国家が無意識の奴隷になるわけではなく、意識と無意識の狭間で試行錯誤を繰り返しながらよろよろ進んでいけば良い。選良の理性で大衆の欲望を制御する発想は不可。一般意志=欲望は制約条件=環境そのものがもたらすシバリ。


第九章

欲望は理やリスクで説いてもコントロール不能。原子力が震災以後否定の対象になったように。


第十章

これまでのまとめ。プラス一般意志2.0に基づく政治の具体的一シーン。


第一一章

あらゆる熟議を人民の無意識に晒すべき。ポピュラリズムではない。大衆の欲望の肯定ではなく、熟議と欲望の対決。無意識民主主義は高くなりすぎた政治参加コストを劇的に下げるを目的に。


第一二章

選良と大衆、人間と動物、熟議とデータベース、間接民主主義と無意識民主主義の独自の組み合わせを、民主主義2.0とする。動物的な生(zoe・欲望)と人間的な生(bios・固有性・理性)、私的領域(オイコス)と公的領域(ポリス)のようなヨーロッパ思想の伝統的対立構図を一般意志2.0は破壊する可能性を持つ。私的で動物的な行動の集積が公、公的で人間的な行動(熟議)は密室・私的領域でしか成立しなくなってくる逆転の可能性。


第一三章

ローティのアイロニー:二つの矛盾する主張を同時に信じること。独自の信念を持ちつつ、その信念を他人が共有しない可能性があると自覚すること。共同体の総員が共有できる価値観がないために、個々人の持つ普遍や真実は公のものではなくプライベートなものであるという逆転となる。理念ゼロ、イデオロギーゼロで運営される社会「リベラル・ユートピア」。見知らぬ人々の苦しみに共感する想像力によって連帯が生じる。これがアイロニーを抱えつつも社会を構成するための基礎。
理性に傾きすぎていた政治に本能を導入するのが一般意志2.0。ローティの思想と共通点がある。


先に読んだ『瞑想する脳科学』やその関連図書とも近い感じ。


第一四章

ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』は福祉国家の正当化不可能性を説く。暴力のみを管理する最小国家の成立は正当化できるがそれ以上の国家の機能は貧者救済のような人道主義的な試作を含めいっさい正当化できないと。ノージックのユートピアを一般意志2.0的に読み直すこともできる。


第一五章

最小限の国家。ベーシックインカム。一般意志2.0と絡ませた未来像の提示。


★ ★ ★

 全体を通じて、著者の専門外のことへの緩さが気になりました。
 例えば「形態素解析」という言葉が二度登場します。東浩紀はこれを「コンピュータによる高度な言語処理」という意味で使っているように思えます。ところが実際はOASYSの頃からある「文を区切って品詞に分類する」だけの基本的な処理を指す言葉なのです。些細なことですし、言語処理の専門家でないのでちっとも構わないと思うのですが、よく知らない専門用語を使うのはハッタリっぽくて残念感につながってしまいます。東浩紀が主催する「コンテクチュアズ」の情報処理担当から聞かされた言葉をそのまま使ったのかもしれませが……。自然言語処理で意味を扱うには“潜在意味解析”といった技術もあり、熟知しないまでも概要くらいは押さえていてもいいんじゃないかしら、とは思いました。せっかくルソーを現代に魅力的に再起動させたのだし、もう少しメカニズムに関心を持ってもいいんじゃないかな、と。
 思想以外の面では似たような指摘が各方面からあるようで、東浩紀もうんざりしていそうではあります。

 揚げ足をとってはみたものの、この『一般意志2.0』は良い本です。
 私はルソーは、高校で習った年表の人、くらいの認識しかなかったのですが、性的倒錯者であったりヒッキーであったりと面白おかしい側面も交えての(著者の言葉によると“二次創作的”な)説明に非常に興味深く読めました。
 メインとなる一般意志2.0というアイデアはそう突飛でもなく、けれど、思想史と絡めて位置づけを知ると「ああ、思想ってこんなに面白いんだ、自由なんだ」とジャンルの面白さの一端に触れられた気もします。単純に、歴史を知らないまま「政治家と電子的な方法で一般市民の間から汲み上げた要望を対峙させる」というアイデアだけを聞かされても「ふうん」で終わってしまいますが、ルソーやヘーゲルの考え方の説明を追いながら理解を進めた一般意志2.0には思想というジャンルの血肉が備わって生き生きしていました。

 第八章まで「一般意志」と「一般意志1.0」と「一般意志2.0」の関係がよくわからずに「一般意志」=「一般意志1.0」じゃないの?と混乱したりもしましたが、それ以外の部分は非常にわかりやすく明快です。各章ごとに冒頭で簡単なまとめが行われますし、核となる「一般意志2.0」「政府2.0」「国家2.0」といったアイデアもさほど複雑なものではなく、楽しく読み進めていけば自然と内容が理解できるはず。思想というジャンル的には異端というか非常識な考え方らしいですが、私のような素人には逆に馴染みやすい内容でした。

 東浩紀は一般意志の実装を試みるイベントを開きWillcaというシステムを作ったりしているようです。試しにこのシステムで「創元SF短編賞」と入力してみると……。出た! 私のTwitterアカウント。一般意志は私の作品を望んでいる!というのはあまり出来のよくないジョークですが。ん〜。これ、単純に「創元SF短編賞」という単語を呟いた回数で集計取ったのと変わらないような。でも、基本はそういうことなのでしょう。使える限りの情報を利用して評価のための重みづけをする、ということで。
 そして恐らく、このWillcaの時点で問題点が明らかになっています。

「この一般意志は信じていいの?」

 アルゴリズムが複雑になればなるほどデータ処理の内容は見えなくなります。いったい誰が「一般意志を正しく汲み上げられている」と判断するのでしょうか。明日は雨が降りそうだ、とか、テロが起きそうだぞ、という結果のある命題に関しては検証も可能ですが、ネットに現れる欲望は検証可能とは限りません。理解不能な方法で示された「これがあなたたちの一般意志」と示されたものを受け容れるのは、一般意志を聞き取る能力を持つ独裁者を受け容れることと同じに思えます。
 Googleのマッチング広告同様、民意の反映として実効性がある気はしますが、商業的成功というバロメーターを持つ広告と違うのは国民の満足度を量る手段もまた一般意志に頼ることになりそうな点です。『一般意志2.0』中で取り上げられるフロイトを顧みるならば、無意識を汲み上げる一般意志2.0は意識からの評価が困難、となる気がします。

 実際に一般意志2.0が社会に実装されていく過程はどんなだろう、と考えていたら小説ネタにしてみたくなりました。小イベント向けの短編にしてみようと思います。SF系創作を志している方にはオススメ。創作の刺激になると思います。

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