『少女機械考』阿部嘉昭
少女機械考
阿部嘉昭
彩流社
2005.10.5
★★☆☆☆
よくわからない。
そんな感想となりました。
澁澤龍彦の『少女コレクション序説』や大塚英志の『少女民俗学』
に連なる類の本かと思って読んでみたのですが、違ったようです。
この本は漫画を中心としたサブカル的作品を素材に“少女”について語る、というスタイルを取っていると思われるのですが
- 素材とする作品についての紹介が紹介として機能していない
- あまり一般的でない言葉に独自のニュアンスを込めて使用しているようで意味が汲み取れない
- 連想らしきものは並べられるが論理が見えない
と読む者を拒絶する要素が多く、一応最後まで読みはしたのですが反論も共感も湧かず、で感想らしい感想も持てませんでした。読むそばから内容がこぼれ落ちていった印象です。『ハウルの動く城』という有名作も素材に使われているので(材として取り上げられている他の作品を知らなくても)著者にどれくらい共感できるのかのバロメーターになるのではないかと思います。たぶん、読む側に著者に近い感性が必要とされるのでしょう。
目次を紹介しておきます。
連接の無限性 少女機械について 弱体化の完成 金原ひとみについて 身体衝動の自動性 綿矢りさについて 少女性と内密性の連絡 高浜寛について 希望体がかたどる性差消滅 福島聡『少年少女』と浅野いにお『素晴らしい世界』について ズレを語るための美少女の代入 会田誠について 商品性と少女性の連接 ハルカリについて 娼婦機械による死の分配 東京事変『教育』について 少女の多時間性と定位不能性 宮崎駿『ハウルの動く城』について 見ることとみられることの等質化 辺見えみりの自写像について 近く自体の少女機械化化 オノデラユキ『cameraChimera』について
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