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『意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

意識は傍観者である 〜脳の知られざる営み〜
著:デイヴィッド・イーグルマン
訳:大田直子
ハヤカワ・ポピュラーサイエンス
2012.4.6

 面白かった!

 ストレートに内容を表したタイトルです。人の意識は無意識の(隠された)多数のタスクに支えられた物語生成装置の働きであり、人は人が思っているよりもずっと自動的に動く機械——ゾンビ的なものなんだよ、ということを実験心理学や脳科学の成果を元に説明します。

第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない
第2章 五感の証言
第3章 脳と心の隙間に注意
第4章 考えられる考えの種類
第5章 脳波ライバルからなるチーム
第6章 避難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか
第7章 君主制後の世界

デイヴィッド・イーグルマン,意識は傍観者である もくじより

 あまり内容の窺えないもくじではあります。読む前に期待していたのはMRIのような最新の脳スキャン技術による知見の紹介とそれに基づく自由意志の否定であったのですが、展開されるロジックの元となる知識のほとんどは実験心理学や脳の病気や怪我からわかったことで「最新脳科学の集大成」的なものではなく、比較的歴史ある知識を元にしています。もちろん遺伝子ベースの話なども出てきて最新の知識もフォローされてはいますが。そして、この本では自由意志については保留したまま、生体機械的に作動する自動装置としてのヒトの側面をじりじりと押し広げて見せます。魂や自由意志の存在を端からあるともせず、ないともせず、まだわからないものはわからない、とする科学的にフェアな姿勢で。
 そして押し広げた生体機械としてのヒト、という観点から言及されるのが第6章での犯罪と刑罰について。恐らくこの章を読んだ人は薄ら寒い気持になれるはず。ここで示される未来の刑罰や犯罪の予防は人の尊厳をも動かしてしまいかねない、と。必ずしも目新しい考えではなく、SFの世界では馴染みのユートピア?ディストピア?ではあるのですが、いよいよ現実の技術と社会がそこに踏み込もうとしているというリアリティがありました。

 わずかですが戸惑ったポイントも。
 Google Booksで原文と比較したのですが、原著にある回りくどい(ロマンチックな?)言い回しがこなれないままにされている文章が数カ所ありました。概ねわかりやすい内容、翻訳であるのでちょっともったいない感じです。
 翻訳とは関係なく、自由意志という言葉の定義も論理を突き詰める部分では厳格に「何ものにも影響を受けない完全に孤高な自由」が想定されていたりするようなので注意が必要です。

 専門書ではなく一般向けの解説書なので身構えずに読めます。錯視のように、人間の認識能力の危うさを見せてくれる実験心理学の結果を例に整理された論の展開で説得力十分に読ませてくれます。「自由意志」の存在について疑問を感じる人にぜひお勧めしたいです。自由意志の存在に揺らぎない確信を持たれている方にこそ読んで欲しい気もするのですが、そういう方にはたぶん受け容れ難い内容であるとも思います。

 1976年に書かれた『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』という本がこの『意識は傍観者である』の中で紹介されていて、読んでみているのですが奇説が唱えられてはいるものの大まかな意識観を継承しているようです。脳科学、遺伝子工学の飛躍的進歩の前に書かれた本で突飛な仮説も出されますがこちらもお勧め。600ページ超でかなりボリュームあります。

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