『神々の沈黙』ジュリアン・ジェインズ
神々の沈黙
著:ジュリアン・ジェインズ
訳:柴田裕之
紀伊國屋書店
2005.4
タイトルだけ見ると一時期話題になった『神々の指紋』というトンデモ本にあやかったようでもあり、スティーブン・セガールが活躍する映画シリーズのようでもあります。少し前に読んだ『意識は傍観者である』の中で「内観する意識が生まれたのは三千年前」と説かれていると紹介されていたのがこの本で、それがなければこのタイトルでは手に取ってみる気にならなかったことでしょう。原題は"The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind"——「二分心の崩壊と意識の誕生」と訳せばいいのでしょうか、そんなタイトルであったりします。ただし『神々の沈黙』という邦題は読んでみると内容をうまく表したタイトルであることもわかります。
この本は意識——内観し“私”を“私”と認識する機能が人間に備わったのは三〜四千年ほど前のことであると説きます。これだけ書くとトンデモ本のように思えますが、『イーリアス』や『オデュッセイア』で使われる表現、古代文明の発展様式を元にヒトが意識を持ち、明確な意思の元に行動するようになった時期を洗い出そうとします。邦訳は最近ですが書かれたのは1970年代半ば。脳科学や遺伝子工学、人類学の飛躍的な進歩が得られる前の時代であるだけに現代の目からはちょっと頼りない論拠を用いていたり、間違った知見を元にしていたりはしますが、大胆に人類の意識の進化に関する仮説を展開します。
この本で説かれている“二分心”説や意識の発生時期は間違っているかもしれません。いえ、たぶん間違っていることでしょう。ですが、意識の発達する前の状態として現代で言う「心の理論」に相当するものを人が持たなかった時代があったとか、古代の人々が統合失調症的な幻聴——無意識の底から浮かび上がる行動指針・衝動を神々の声として聞き、従わずにはいられないものとしていたという意識の発達過程の提示はとても興味深いものです。ドーキンスの『神は妄想である』の中でも(辛辣にではありますが)興味深い本として紹介されているのも納得できます。
この本はトンデモではない、と私は思います。
論拠となっているのが文書——楔形文字で刻まれた粘土版の内容に関する独自の解釈であったり、大雑把な古代文明の特徴抽出であったり、1970年代当時でも間違っていただろう古人類学の知識であったりと科学的厳密さを欠くのは事実です。それでも、この本は進化や科学としての視点をギリギリで保てているように思えます。現代の霊長類研究や脳機能イメージングは意識の発生時期を三〜四千年前ではなく、百万年単位の過去であることを示唆していますが、時間スケールはともかく、ジェインズの示した意識の進化過程は時代に先駆けたものであったように見えます。心理学や哲学で心の理論が登場するのはたぶん70年代末。二分心というアイデアの面白さは今でも十分に興味を持って読めるのではないかと思います。
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