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『ヒトはいかにしてことばを獲得したか』正高信男・辻幸夫

ヒトはいかにしてことばを獲得したか
正高信男・辻幸夫
大修館書店認知科学のフロンティア
2011.7

 言語学の本が好きです。
 学生時代にソシュール言語学の解説本を読み「こんな世界があるんだ」と驚きました。品詞や活用を覚えるだけの実用的だけれど味気ないものが文法だと思っていたのに、背後にはこんな面白い研究がされていたのだと。その後、チョムスキーの生成文法というものを知ってヒトの仕組と言葉を関連づけようとする考え方にまた驚きました。文法や言葉だけを相手にしているように見えた言語学がヒトの生物的な構造に踏み込んでいたのです。
 でも、そこまででした。言語学はかな漢字変換や機械翻訳に大いに貢献したようですし、言語同士の系統関係も明らかにしました。辞書だってただ意味が書いてあるだけではなく言語学が明らかにしたことばのルールに基づき用法が分類されています。成果は膨大です。けれど普遍文法の実体はいつまでたっても明らかにならず、チューリングテストをパスする喋る機械は現れず、機械翻訳の精度はあまり改善されなくなりました。音声認識や合成音声は情報処理技術の進歩とともに洗練されてきましたが、意味を扱おうとするとそこで頓挫します。

 言語学は無力。

 そう思うようになりました。この本の中でも指摘される、文法いじりへの偏重に原因があるのだと感じていました。ソシュールやチョムスキーの言語学の分派もロジックで言葉を分析して正しく言葉を分類・解体できるルールを発見しようとするものばかり。辞書的に固定化された意味を想定するために言葉自体の変化を捉えられず、常に生まれ続ける非線形な(単語の意味と文法から演繹される言葉の表面的な意味とは異なる「李下に冠を正さず」のような)用法や言外の意味に対応できなくなります。学問のための学問のように思え、言語学の本を漁る機会が減りました。時折思い出したように読んだ痕跡が『町田健のたのしい言語学』『非線形言語モデルによる自然言語処理』といった感想記事になっていますが、その度に残念に思ったことも滲み出ているのではないかと思います。
 しかし、最近は脳機能イメージングの進歩によって機能している脳の活動状態をリアルタイムで観測できるようになりました。併せて実験心理学や脳損傷者から脳の神経学的機能を浮き彫りにする(昔からあった)手法も脳科学の進歩によって整理されてきたようです。結果、言語学も神経学や認知といった視点で洗い直されつつあるらしいのです。その更新されつつある言語学について紹介しているのがこの『ヒトはいかにしてことばを獲得したか』でした。

 面白かった!
 しばらく言語学関連本から離れていたこともあり久しぶりに興奮する内容でした。神経学・行動科学・霊長類学の専門家と認知言語学の専門家が対談形式で「認知」という実践的なアプローチからの言語研究を紹介しています。対談といっても雑談的なものではなく、あらかじめ筋書きを定めたテレビの解説番組風の構成で内容は濃く、説明も手順を踏まれているためにとてもわかりやすいです。サルの学習と乳児の学習。FOXP2遺伝子。身振りなども含めた汎用コミュニケーションとしての言語観。ミラーニューロン。自閉症と心の理論。ウィリアムズ症候群。手話。ロジックではなく実践的な研究から生まれる知見の力強さがあります。特に著者の一方・正高氏の上で述べたような従来の言語学にがっかりさせられた面への批判には「そうそう!」と共感させられます。ちょっと批判が強過ぎてお腹いっぱいにもなりましたが。

 視覚も聴覚も身振りも発話も、脳にとってはすべてシナプスの活動パターンであり、コミュニケーションの一種。そんな考え方を基に言語も一コミュニケーション方法として捉え、従来の言語学の示してきた言葉の特別視から逃れようという潮流が見えた気がします。認知科学の視点からの最新のことば研究のアウトラインの掴める一冊でした。読みやすく整理された内容でとってもオススメです。この本のおかげで読んでみたい本がたくさんできてしまいました。

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