カテゴリー「本の感想2013」の32件の記事

『百合のリアル』牧村朝子

百合のリアル
牧村朝子
星海社
2013.11.26

 タイトルを見て思いました。この本はきっと百合漫画を始めとするフィクションと現実の女性同性愛との関わりを論じた本に違いない、と。タレントのそういう本ならすぐに読まなくてもいいかな、と後回しにしていました。

 ところが数日前、エリカ・フリードマンというアメリカにおける日本製百合漫画・アニメの開拓者のブログに『百合のリアル』のレビューが掲載され、勘違いに気づきました。急遽『百合のリアル』を読んでみることに。著者の牧村朝子——まきむぅはレズビアンであることを公言しているタレントで本のカバー帯の写真の通り、とてもきれいな方。文章は読みやすく、読者に語りかけるような感じの一人称パートと複数のキャラクター対話パートを織り交ぜて進展します。内容は、タレントの書いた興味本位の読者向けのレズビアン告白本というようなものではなく、セクシュアリティとジェンダーについて丁寧にガイドするもの。著者がレズビアンということで話はレズビアン寄りの話題が多いですが、男性同性愛も含めた多様な性のありかたについて説明していて、中学生くらいで性自認や性指向の揺らぎを感じて一人で悩んでしまっている子が手に取るととても良いガイドになるのではないかと思える本でした。著者の一人称パートでは主に著者自身の性に対する考え方、見方の変遷を紹介し、キャラ対話パートではキャラ同士の議論によって性指向・性嗜好・性自認といったものに対する理解を深めていくことになります。
 著者の肩書きはタレントであると同時にレズビアンライフサポーター。この本は後者の立場から生まれたものです。内容は堅苦しくはなく、けれど(すでに述べたように)「レズビアンタレントが性を赤裸々に語る」的な扇情的な娯楽本でもありません。同性愛のセックスについて具体的な説明もありはしますが、基本的に自己の性別や性指向に悩んでいる少年少女のために書かれた切実で誠実で堅実な内容です。読者とは、学校の図書館や保健室にこの本が置かれていて「私は性的にヘンなのかも」と悩んでいる子が手に取る、という出会い方をすれば理想的なのに、と思いました。でもきっと、星海社の新書じゃ図書館や保健室に置く本を決める立場の人の目に届かない。岩波ジュニア新書あたりならばあるいは、なんて思いました。まきむぅにはぜひ少年少女たちにリーチできるレーベルから、性に惑う少年少女たちに直接届くメッセージを本にして欲しいと思ったのでした。これは「ふ〜ん」と読み飛ばす教養本でも感動を共有するための本でもなく、より切実な思春期の悩みのための“リアル”なガイド本であると思います。
 著者自身があとがきで触れていたことにはちょっと反する感想になってしまったかな。

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『カクリヨの短い歌』大桑八代

カクリヨの短い歌
大桑八代
小学館ガガガ文庫
2013.5.17

 森田季節の『ウタカイ』がとても気に入っていて、異能バトルものとして比較に出されているのを見かけて読んでみました。Kindle版です。

 異能短歌バトルとの評は正しく、かつて一度幽玄界カクリヨに消えてしまった短歌たちが作中の時代に呪いの力を備えて戻ってきたという舞台設定。呪いの力は歌たちがカクリヨに消えてしまう前から備わっていたのか否かはよくわかりません。とにかく、声に出して読むことで超常的な効果を発揮する歌があり、その歌を巡り、歌を使いバトルが繰り広げられるお話です。
 主人公——というか物語を通じて登場するのは完道ししみち藍佳あいかの二人。作中で用いられる短歌は古今、新古今をはじめ歴史的な歌たちのようです。歌われた情景の比較的ストレートな解釈で呪い=禍歌が発動するのはわかりやすくはありつつも、武器としてはシンプルで短歌らしい特性がより前面に出たものが読みたいような気もしました。短詩は時と場合、解釈如何で意味が変わったりする、というような点で。
 祝園ほふりぞのという名家が収集する和歌の争奪・守護というのがベースにあり、主人公たちがどう守るか、歌を求める側がどう攻めるかというシナリオが描かれていきます。章ごとに異なる語り手によって綴られ、また、伝奇バトルらしく死者も相応に出ます。そしてたぶん祝園や禍歌を中心にした異能バトルでありつつも壮大な痴話げんかなんじゃないかな〜という気配も。藍佳の設定や完道のおっとりキャラ、真晴のタフガールっぷりはライトノベルらしくもあり、短歌という素材を使ってはいても古典のお勉強のような堅苦しさはない楽しい読み物でした。

 短歌を素材にしたライトノベルとして『ウタカイ』と『カクリヨの短い歌』とどちらもお勧めしたいと思ったのでした。現代短歌の形で作者自身が創作した『ウタカイ』の短歌はストーリーとの親和性も高く好みではありましたが、『カクリヨ〜』の本格異能バトルとしての容赦のなさも魅力に思えます。

★ ★ ★

ガガガ文庫:減色

 内容とはまったく関係ないのですがKindle版への苦言を少々。
 表紙をはじめとしたイラストの減色処理がヒドいです。上掲の画像はiPod touch 4thの表紙スクリーンショットから題字周りを切り出したもの。ディザでトーンを変換してしまっています。3.5inchの画面であれば目立ちませんがiPad3の画面では目についてしまいます。ガガガ文庫の電子書籍は今のところ共通の処理が施されているようで検索すると不満の声が。カラーのタブレットで読まれる方には気になると思います。

ガガガ文庫:太字指定外れ

 また、作中では短歌は太字で表示されるのですが、短歌中でフリガナのついている親字の太字指定が外れていたりするのが数カ所。いずれもAmazonのカスタマーサービスに指摘だけはしておきましたが効果はあるのかな。

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『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』青木薫

宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論
青木薫
講談社現代新書
2013.7.18

 タイトルの通り、私たちのいるこの宇宙はなぜ物理学が明らかにしたような法則を持っているのだろうか、というテーマで科学史を追いかけた本です。メソポタミアの天文学から始まり、様々な宇宙観の変遷を追いかけ、20世紀の劇的な科学の進歩をたどり、最後に「人間原理」によって転換を迎えつつあるパラダイムを紹介します。

 2013年科学解説本1位には断然これを推します。
 まず第一に読んでいて楽しい。天文を中心とした古代の話から近現代の原子論・量子論までを紹介していくのですが、科学史の要所の押さえ方が素晴らしく、天文や原子のイメージの変化に実感が持てるのです。太陽系モデルの確立までの道のり。宇宙像。アインシュタイン。そして人間原理。
 人間原理というと「この宇宙はなぜヒトに都合良くできているのだろう」的な思考から神様的な存在に繋がりそうな気がしてしまいます。この本の中でも人間原理のうさんくさくなりそうな解釈をまずは紹介するのですが、その先に量子力学の多世界解釈的な、でも多世界解釈とはちょっと違う「無数の宇宙」を立ち上げてきます。紹介のプロセスが非常にわかりやすく、美しいのです。シビレル科学解説書というのは滅多に出会えないのですが、この本にはそれがあります。物理法則の中のコイシデンス(偶然の一致)の抽出を踏まえて人間原理の一般的なイメージに繋げ、“弱い”と“強い”二種類の人間原理をじわじわと必然の側に繰り込んでみせる手腕。素晴らしい!

 この本で紹介される人間原理のツボは先に出したエヴァレットの多世界解釈と超ひも理論の示す多の宇宙法則を持つ多宇宙の違いにあります。エヴァレットの多世界解釈はSFでよくあるもので、量子の波動関数が収束するごとに平行宇宙が増えていきます、という話なのですが、超ひも理論は10500という超多様な物理法則の支配する宇宙のバリエーションを示す、という話です。我々の宇宙の物理定数とは違う物理定数を持つ宇宙がいっぱいありえるよ、と。このあたりの違い、読まれるときに意識すると面白さがぐぐっとアップするはず。

 数式も四則演算を示すものが一回出てくる程度で難しい本ではないですが、物理の香りの濃い話がどばーっと連なります。相対論の効果や量子論の不思議を面白おかしく紹介するタイプの雑学ネタではありません。科学のロジックそのものの面白さがぎゅう詰めになっている本。

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第十七回文学フリマ・書籍感想

 第十七回文学フリマで購入した同人誌の感想です。

「マチ」黒い紅茶

 百合ものが無料配布されているということで様子を見に行ったら並んでいた本たちも印象が良かったので新刊の「近づくなお姫さまがとおる」も買ってみました。こちらは非百合。お目当ての百合もの「マチ」はちょっとトゲのある、でもありそうなマチコとかなみの関係が好印象でした。

「夜道の星」雨降波近

 短編集。「ヒカルセカイ」で知った作者さんで百合二本、たぶん百合だけど特殊ネタだったりシュールだったりするのが一本ずつ、星座神話風、童話風であったり私小説風であったりするものもありました。文章の、お話の感触が「ヒカルセカイ」の作者らしさたっぷりで好感触。猟奇的な話やスカトロジーネタもあり、シバリのない同人ならではの側面もあるので苦手な方は要注意ですが、「ヒカルセカイ」が気に入った人は読んで損はない気がします。

とのことで電子書籍販売もされているようです。

「百合嫁の出会い」藤間紫苑

 シリーズの回想話ということで同性カップルの相方との出会いを割と淡々と回顧したもの。これはリアルタイム視点で綴ると心にキツそうで回想でワンクッションあるのが正解と思いました。淡々とした中に重く苦しい気配もあって。

「星屑ノート」朝来みゆか

 聖クララ女学園を舞台にした掌編の連作。三話目の「ページの隅に夢とか理想を」が一番好みの感触でした。

「pinkie」ノップマット

 サークル名がノップマット、作者が玉木サナさんでいらっしゃる模様。桜吹雪の光景に小学生の頃の約束を回顧するお話で、どきりとするような尖った要素が一瞬顔を覗かせるあたりが心に刺さりました。平綴じのコンパクトな本ですが表紙も印象的。

仮想空間カクリヨで逢いましょう」ソウブンドウ

 神尾アルミ「夢の中ならあいつは泣いた」。転落し脳死状態になった生徒がひとり。関わりのある者が数名。仮想空間で行われる犯人探し。「おや?」と混乱が仕組まれ「ああ!」と手を打ち、ドラマの展開に「ああ……」と息を吐く。
 若井芽衣「Shell-tar」。貝と海のイメージに繋ぎ合わせられる監禁の描写。海のイメージと重なっていくストーリーは幻想に寄り添いひとつになって。静かな張り詰めた文章。
 空木春宵「The Indescipline Engine」。タイトルで思い浮かぶのが円城塔「Self-Reference ENGINE」。読み始めてみるとすぐに「Self〜」的な要素が目に入り、伊藤計劃&円城塔「屍者の帝国」への返歌要素の濃さを感じるコラージュ的な作品であることに気づきます。「繭の見る夢」やソウブンドウの前号「欠落少女コレクション」収録「感応グラン=ギニョル」での空木春宵のイメージとは少し違うものが読めるはず。
 武田若千「箱庭の外 Nの肖像」。写真を撮る、という要素をキーに繋いだお話。シーン毎に独立しているようで進展とともに絞られてくるお話は最後に向かって急激にピントが合うかのような感触。鮮やか。
 七木香枝「鏡の庭でおやすみ」。半身というイメージをお題の仮想空間にしっとりと融合させたお話。少年が、少年が、美しいのですよ。いえ、美少年が活躍するというのではなく、ありようが。対する少女が秘めるものにもまた痺れるのです。

 今号はタイトルの「仮想空間」の文字にダイレクトに沿ったお話が5話中4話。今回もどのお話もクォリティ高かった……、と満足の溜息。

 第十七回文学フリマの感想記事トラックバック集からたくさんの感想に飛べるようです。

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『暗黒女子』秋吉理香子

暗黒女子
秋吉理香子
双葉社
2013.6.19

 TwitterのTLで非常に好みの作風の(たぶん同人の)作家さんが紹介していて、これはぜひ読んでみなくては!と手に取ったのがこの『暗黒女子』。書誌情報に付されたあらすじでもお嬢様学校を舞台にした美少女の死から始まるとあって好みどストライクに違いないと期待値の高かった一冊です。見事に期待に応えてくれました。

 物語はいつみという美少女の死を起点とします。正確には、いつみが部長をしていた文芸部の面々が集う定例会での闇鍋のシーンから。少女漫画の中にしか登場しないような絵に描いたようなお嬢様学校の、紅茶とスイーツの振る舞われるサロンを持つ文芸部で闇鍋!というちょっぴり面白おかしく違和感のある場面なのですが、この闇鍋女子会は死んだいつみに関する自作小説を部員それぞれの朗読で披露する、という趣向に沿って進んで行くのです。
 少女小説風のきらびやかで爽やかな文体を予想したのですがもう少しこってりとしていつつ、いつみの周りを囲んだ少女たちの告発的な——小説と言うよりはドキュメンタリ的な物語が綴られます。
 タイトルからして『暗黒女子』。きっと登場人物たちの誰かが「暗黒」を抱えていてそれがいつみの死を招いたのだろう、と予想を立てつつ読み進めると思うのですが、期待通りでありつつ同時に裏切ってくれるはず。予想の当たり外れを楽しむタイプの本格ミステリというよりは「こうかもしれない」「ああかもしれない」と作者の思惑に振り回されつつ楽しむ話ではないかと思います。

 岩井志麻子の『女學校』が面白かったという人にはたぶん『暗黒女子』も好みに合うんじゃないかな。

 以下蛇足ですが……。
 文芸サークルなどでこの本を題材に読書会などを開く際には闇鍋を囲みながらというのはいかがでしょう。作中のシチュエーションに敬意を表して。
 『暗黒女子』は最後まで読まずに……そうですね、七〜八割ほどまで読んで「おあずけ」にしておき、皆で鍋を突きながら終幕部分を揃って読むのが楽しいのではないかと思います。

 というわけで、冬の夜のお鍋の友にいかがでしょうか。

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『know』野崎まど

know
野崎まど
ハヤカワJA文庫
2013.7.24

 良かった。
 分類するならば情報化社会SF、あるいはサイバーパンク、かな。

 人々が電子葉なる脳の電子的脳補助器官を装備するようになり、電子葉普及後の世代が青年期を迎えつつ、年長世代は電子葉がなかった時代をまだ記憶に留めている時代。エリート情報官僚・御野・連レルは情報格差社会に問題を覚えつつも、時代の流れには逆らえずに節を折り、情報処理技術の天才でありながら投げやりな日々を過ごしていた。そんな折り、彼が師と仰ぐ電子葉の発明者であり謎の失踪を遂げた道終・常イチの捜索以来が連レルの元に舞い込み——と始まる話。
 スターリング、士郎正宗の系譜を受けたサイバーパンク、ではあるのですがプログラマーの皮膚感覚的なデテールが投入され、同時にライトノベル的側面をも備えていて現代日本で紡がれたお話なのだ、という実感がありました。入り組んでいながら洗練されたプロットは物語らしさが濃く、電子戦物としても質感があり、新しい世代を代表するSFを実感しました。『マルドゥック・スクランブル』シリーズで冲方丁を知った時のような「おおっ」という感触。良い作者を知った、とデビュー作の『[映]アムリタ』を読んでみることにしたのでした。たぶん、そちらも近いうちに感想が書けると思います。

 ネタバレのない範囲で書くならば「輪を描いて回る炎の剣」のイメージが非常に格好良くて痺れたッ!と感じ、その時点で立てたオチ予想が見事に外れてやられたッ!と二倍おいしく楽しめたのでした。

 脳科学のデテールというか意識観や知性観がもう少しラディカルな方が現代の脳デバイス物としてはしっくり来たんじゃないかな、などとも思いはしたのですが、物語としての面白さの前には些細なことでした。
 和製SF好きな方はぜひ。

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『光るキノコと夜の森』大場裕一・西野嘉憲

光るキノコと夜の森
解説:大場裕一
写真:西野嘉憲
岩波書店
2013.7.4

 撮りたい。
 こういうキノコ写真、撮ってみたい。

 一番に思ったのはそれでした。表紙からして幻想的ですが中身の写真も素敵です。
 一辺20cmほどのほぼ正方形の写真集体裁。五カ所の生息地でキノコの光る光景が紹介されます。写真としても面白いし、図鑑としても見映えがしました。弧を描く星の軌跡を背景にしたツキヨタケ、ホタルの飛跡とともに収められたアミヒカリタケ。群れをなし光るクヌギタケの仲間。落ち葉に染みる光る菌糸。美しいです。

 キノコマニアでなくても楽しかったです。巻末には観察方法や撮影方法なども載っているので写真に撮ってみたいという人の参考にもなりそう。表紙画像に関心を引かれた方ならば楽しめるハズ。光りものには不思議な魅力がありました。

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『脳のなかの匂い地図』森憲作

脳のなかの匂い地図
森憲作
PHPサイエンス・ワールド新書
2010.2.20

 面白い、鮮度の高い本。

 においに関する本です。脳科学よりで、嗅覚がどのように生じるのか、そのメカニズムを最新の知見にもとづいて解説します。シンプルながら豊富な図解が付され、ちょっぴり堅い印象の文でありつつもわかやすい本でした。香水のうんちくや香りの文化といった要素はありません。におい分子、におい受容器から脳内の嗅覚野の話まで、化学反応から信号処理の部分をきっちりかっちり説明してくれます。このジャンルの研究者が自身の研究を中心に据えて語る本ですが、嗅覚の中核ともいえる重要な研究を紹介の中心としているので「ジャンルど真ん中」感があります。最先端で重要な発見をした研究者当人による一般向け解説本。
 文章は代名詞による言い換えや文脈依存の省略のない学者然としたもので、語調だけは会話体にして柔らかい雰囲気を心がけられてはいますがやっぱり「堅〜い」と思えるかも。でも、嗅覚+脳科学という認知の前線の概論が、専門科目の教科書に近いしっかりとした手順と論理で一般向けに語られているお得感満点の本です。科学解説書ファンの人は「これが新書で読めるのか!」という喜びの感じられるであろう一冊。ここしばらく味覚、嗅覚、脳科学関連の本を集中的に読んできましたが、嗅覚に関しては文句なしに一番お勧めの本です。PHP新書の科学解説シリーズならではの図解の多さもとても助けになっています。

 この本で知って一番興奮したのは、においの受容器と神経系の関係がフィードバック学習付きのフィードフォワード制御やニューラルネットワークアルゴリズムのモデルそのものの構造——当たり前と言えば当たり前ですが、それでもあまりにも論理構造がそのまま実構造となり、また一受容器・一糸球という徹底した最適化ができていることに衝撃を受けました。なんという効率性。嗅覚は一次元の感覚で、強度と時間の関数でしかないために一受容体について一カ所の神経系入力で良い、という構造は衝撃でした。粘菌の迷路と同じでおよそ最短と思える経路を結んで最適化されてしまうのでしょう。生物というのはなんて面白いのだろう。行き当たりばったりの機能追加を重ねているくせに、同時に最適化も見せてくれるのです。さらにその次の段階として「地図」が示されるわけですが、こちらは「そういうものかな」という印象でした。

 嗅覚の仕組についてわかりやすい解説本を探している方はぜひ。

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『脳の情報を読み解く』川人光男

脳の情報を読み解く
川人光男
朝日新聞出版
2010.8.25

 『人はいかにしてことばを獲得したか』の中で紹介されていた本だったように思います。認知と脳科学の最新の状況がわかる本で、自作小説の『漫画脳BMI』はせめてこの本を読んでから書けば勉強不足感はちょっとは減らせたかな、と思いました。同種の本をいくつか読んでいたこともあって知識が大幅に更新されるということはなかったのですが、脳科学の専門家が最前線で取り組んでいるBMIの話題であるだけに、BMIという技術に携わる人のものの見方、脳科学における脳や知能、意識に対するパラダイム的なものが感じ取れた気がします。少し前に読んだ『脳はなぜ「心」を作ったのか』には専門外の工学側の視点が感じられてそれはそれで面白かったのですが、こちらの本はジャンルの統括的な役割を果たしているらしい著者ならではの幅広く未来を見据える視点がありました。BMIという技術の紹介、脳の機能説明、具体的なBMI技術の応用、これからのBMI。特に今後のBMI技術については「倫理4原則」という形で(ロボット三原則的なものとして)提示されるガイドラインが面白くもありました。

 この本はBMIという工学へのアプローチであることもあり『脳はなぜ「心」を作ったのか』に近い制御工学としての側面も色濃いのですが「心」のモデルにはまだ踏み込まずに実践的な技術として、医療や産業のための最先端の科学として紹介されます。そのリアリティが力強いのです。現実感がSF的にとても刺激になった気がします。空理空論ではない実践の重み。

 少し残念であったのは本の中で紹介される公開データベースの公開が終了しているらしかったりすることでしょうか。それでもこれまでに読んだ本の中でBMIという技術についてもっとも具体的で、包括的な紹介がされている本でした。2010年刊で早くも“最新”ではなくなっている可能性もありますが、オススメ度高いです。ブレイン・マシン・インターフェイスについて知りたいという方に強くオススメ。

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『星を創る者たち』谷甲州

星を創る者たち
谷甲州
河出書房NOVAコレクション
2013.9.26

 SF短編アンソロジー『NOVA』シリーズで展開されていた谷甲州の宇宙土木シリーズが単行本になりました。元々はSF小説誌『奇想天外』に掲載された短編シリーズから発展した一連の作品とのこと。「こういう谷甲州が読みたかったんだよ!」というど真ん中を突いてきつつ、単行本書き下ろしの最終話では「驚愕の」としか表現できない展開を見せてくれました。若干のネタバレを含むので既読者向きの感想記事となります。

コペルニクス隧道

 初出は『奇想天外』1988年。月面都市間を結ぶ鉄道の地下坑道の掘削現場が舞台です。「コペルニクス隧道」というタイトルは吉村昭『高熱隧道』を彷彿とさせるものがありますがこちらは執筆当時開業したばかりで出水で難工事であったとされる青函トンネルのイメージもあるのかもしれません。当時は月面の砂の成分から建設資材が作れることが示されたり、粉流体や電磁流体にも注目が集まっていた気がします。作中での月の砂レゴリスの扱いもそういった時代が反映されている気がしました。

極冠コンビナート

 火星の極近くに造られる採水プラント現場の話。ネタバレの気がしますが1988年の『奇想天外』掲載当時記憶に新しかったはずの「世田谷ケーブル火災」を元イメージにしている気がします。NTTの電話交換局で起きた火災が予想外に拡大して収束・仮復旧までに一週間近くを要した事件。当時はまだインターネットは一般向けには提供されていませんでしたが、FAXが普及し携帯電話も普及が進みつつあって情報化時代を迎えていたはず。引き回される大量のケーブルが防災の盲点となっていたことを象徴する事件でした。この話では環境の変化によって一度解決されたはずの問題が再度立ち上がってくるだろうという視点が示されますが、それは技術の必然でもあるということなのでしょう。失敗の祖型は常に過去にありつつ、それを完全に生かすこともまた難しい。この作者ならではの技術に対する皮膚感覚を伝えてくれます。

熱極基準点

 自転と公転が共鳴関係にある水星ならではの“熱極”に設置されるマスドライバー建設計画にまつわる調査活動の話。1988年『奇想天外』が初出。
 またバレとなりますが、少し読み進んだところでバルカンという星が登場します。水星より内側の軌道を巡る、準惑星とでもいうような小さめの天体です。現実には存在しないこのバルカン、かつて天王星の摂動から海王星の存在が予見されたように水星の近日点移動から存在が予測されていた星です。ニュートン力学だけでは水星の近日点移動量が説明し切れず、水星よりも内側の惑星が予想されていたのです。実際にはバルカンは発見されず、一般相対性理論によって水星の近日点移動量の誤差が見事に説明されて落着となりました。ところがこの宇宙土木シリーズではバルカンが実在する! これは相対論の成立しなかった宇宙が設定されているのか!と色めき立ったシーンでもあります。結果は——読んで確かめてください。
 後のお話に強く影響してくるのがこの水星調査の話でもあります。

メデューサ複合体コンプレックス

 ぎゃふー。カッコいい。2010年の『NOVA3』掲載のお話。木星が舞台です。木星の衛星ではなく、本星。その大気圏に浮揚するプラントがメデューサ複合体。このメデューサ複合体でも工学的な問題が起きるのですが、作中に元ネタが明示されています。“tacoma bridge”です。youtubeに記録映像があるので(読後に)ぜひ見てみてください。私が学生のときには写真でしか知りませんでしたが、動画で簡単に見られる時代となりました。
 メデューサ複合体はサイズが100kmを超える大物で、しかも木星大気中をダイナミックに機動する飛翔体であるようです。タコマ海峡橋ならば現代でもきっちり解析できるものの、規模や環境が変わればモデル——工学モデルには必ず織り込まれる簡略化手法——が現実と合わなくなる。カミオカンデの水底にあった光検出器がひとつ圧壊したことによって連鎖破壊したように、構造物は想定外の壊れ方をするもの。最新の技術で詳細なモデルを組んで安全率を削ることで成立する浮揚体。狭い安定領域を維持制御し続けるテクノロジーの魅力。どんな形のキャノピーで飛ばしているのか、図解が見たかった。

灼熱のヴィーナス

 90気圧400℃。濃密な大気の底にある灼熱の地表、金星。現実ではそんな世界に送り込まれた探査機の寿命は小一時間。ソ連時代のベネラ探査機の成果です。現実の人類の技術では無人機械でもそれしか耐えられない環境に、甲州世界ではブラントを建設します。読んでるだけで「あぢぃ」。濃密な大気を逆手に取った気球+翼による揚力で凧のようなプラットフォーム建築を描くのですが、ここでも危機が訪れます。視点は金星地表の重機オペレータ。メデューサ複合体同様、こちらも形が知りたいと思ったのでした。連凧みたいなデザインだったりするのかな。初出は『NOVA7』。

ダマスカス第三工区

 土星の衛星エンケラドゥスに建設されようとしている採水プラントで起きた事故の対応に訪れた管理職が遭遇する不可解な現象。『NOVA9』掲載時には「こういう方向の話もありか!?」と意外に思ったオチでした。水星の「熱極基準点」共々最終話に繋がる重要なエピソードになっています。

星を創る者たち

 そして表題作にして書き下ろしの最終話。これはもう「おおおっ」と唸らずにはいられない展開。作品のトーンというか世界観というかがぐいぐいとシフトしていく独特の話で帯にある「作者が予測できなかったくらいだから、読者諸賢にとってはなおのこと予想外の物語になったと確信している」という著者の言葉通り、文句なしに予想外。技術者を描いた宇宙土木のゴリゴリイメージから一気に変容していくお話の感触に鳥肌が立ちました。

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 『NOVA』での連作で知って楽しみにしていた宇宙土木シリーズ。航空宇宙軍シリーズで魅せられて以来の作者のファンとしては「こういうのが読みたかった!」と大満足。無骨ですらある未来版吉村昭・柳田邦男的、石原藤男の後継者的な科学技術SFの系譜はこれからも続いて欲しいと願うところ。創元SF短編賞を受賞した『銀河風帆走』の宮西建礼もこの近辺の開拓に続いてくれるかもしれないとちらりと思ったり。
 『星を創る者たち』未読の方はぜひ手に取って、近未来で危機に立ち向かう技術者たちの世界を体験して欲しいのです。

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