『Vespa』大北紘子
Vespa
大北紘子
一迅社百合姫コミックス
2014.6.19
楽しみにしていた大北紘子の新刊です。
収録作は
Vespa Play:1〜3 | コミック百合姫2014年3月号〜7月号 |
インソムニアガール | コミック百合姫2013年7月号 |
7年9ヶ月前の甘味 | 描き下ろし |
18日前の黒色 | 描き下ろし |
15年と6ヶ月前の秘密 | 描き下ろし |
となっています。描き下ろしはVespaシリーズのサイドストーリーや前日譚。色鮮やかな温室の情景を描いたカラー扉も描き下しのはず。
表題作「Vespa」は女ばかりになり、男がほとんどいなくなった世界が舞台。人々はテクノロジーによって生まれている、という設定であるようです。貧富の差は明確になり、ジェンダーは自由なようでありつつ役割や階層の固定化された封建的な社会になっている様子。主人公は恋塚という近衛兵で、ヒロインは姫君ですが深窓の令嬢タイプではなく気の強い猛々しいお姫様。まじめで素直な主人公はイザベル姫に振り回される羽目になります。その主従の関係が姫への政略結婚が持ち上がることで動き始めます。小国の姫であるイザベルは隣の大国の女王に輿入れすることになり——というところまでが第一話。
中世的で封建的な世界には社会のひずみがあちこちにあり、大北紘子の得意とするえぐい設定があちらこちらで顔を出します。ことさらに作中世界での悲劇として描かれるのではなく、さらりと残酷さを秘めた世界を示されひやりとさせられるのです。隣国の女王も悪役として描かれはしますがそれだけではなかったりするのも大北紘子“らしい”ところ。
今回の「Vespa」は大北紘子にとっては初の百合連作(短期集中連載)ではないかと思います。世界設定はこれまでの大北作品と少しだけ共通の要素があるように思いました。一覧を作って比較をしてみると
収録 | 短編タイトル | 舞台設定 |
---|---|---|
裸足のキメラ | 名もなき草の花の野に | ヨーロッパ中世〜近世的 |
欠け落ちて盗めるこころ | 戦時下の異世界現代日本風 | |
裸足のキメラ | 近代〜現代で封建的異世界風。貧富格差大。高度な医療技術はある模様。 | |
はんぶんこ | 近代〜現代日本風 | |
花々に似た蟲 | 現代日本 | |
愛と仕事と金の話をしよう | 現代日本 | |
月と泥 | 月と泥 | 近代日本風 |
六花にかくれて | 近代風。封建社会的。高度な医療技術は限定的にありそう。女だけの国の断片。 | |
好きの海の底 | 現代日本 | |
しあわせにしてほしい | 現代日本 | |
丘上の約束 | 現代日本風 | |
鎖の斬手 | 近代封建社会。日本風異世界。 | |
百合姫2014年1月号 | ブライトモーニングスター | 近代日本風 |
百合姫2013年11月号 | 雷と砂の雨 | 現代日本 |
封建的な世界、貧富の格差や階層の固定化された近世的な社会を背景にした話が印象的な大北紘子ですが、作品数的には現代モノが一番多いようです。
封建的な世界では、戦争で男が減った世界(花々に似た蟲)〜男性の排除が始まった世界(六花にかくれて)〜男性のほとんど消えた世界(Vespa)、と程度の差こそあれ女ばかりの世界が描かれます。でも、そんな女だけの世界も楽園とはほど遠く、心に刺さる要素をより鮮やかに鋭く残酷な世界であることを強調している気がします。
「Vespa」に詰め込まれた要素、描ききれなかったのであろう女王関連の要素を想像するともっともっと尺のあるお話で読みたかった気もするのですが、掲載誌が隔月刊ということもあって中編にまとめて凝縮感が出たのは良かったかも。
小ネタですが。
「Vespa」でおや?と思ったのが左肩にライフルを構える隊長。設定的には両利きであるそうなのですが(pixivで公開されたイラストコメントより)『プライベートライアン』に出て来た左利きのスナイパーを思い出しました。女王が手にしたリボルバーもS&W M49という銃がモデルと思われます。『あぶない刑事』ではタカ役(舘ひろし)が足首のホルスターに仕込んでいた隠し武器。『月と泥』のあとがきでは松本清張原作映画にも触れていたりで映画/ドラマ好きの作者が仕込んだお遊びの可能性もある……かな?
短編「インソムニアガール」は不眠ネタで亡き母の夢がキーとなる話。母を亡くして間もなく父が再婚し、新たに継母となった人は特に嫌な人間でもないけれど馴染めず、早すぎた再婚に恋愛ごとそのものが受け入れがたくなってしまった主人公。親しい友人・手島が主人公に寄せる思いにも反発し。荒み気味、というよりは孤立を深めていく主人公のありようが心にぐっと来るお話です。
大北紘子の百合ものを追いかけて来た読者であれば直接は描かれない要素が含ませてあることにも馴染んでいるんじゃないかと思います。ふと、この手島というキャラは作中で実在設定の人物なのだろうかという疑いが頭を過ったりもするのですが、それはうがち過ぎだったかもしれません。そういえば刑事もの映画の『インソムニア』も作中の現実が危うく感じられて来るような映画だったっけ、とタイトルから連想したりもしたのでした。
今回の単行本『Vespa』は既刊『裸足のキメラ』『月と泥』と合わせてオススメです。設定が共通していたりということはないようなので別個に読んで楽しめますが、作家自体を推し、ということで。
この作者の百合作品にはジャンルのステレオタイプやお約束に縛られない強さのようなものがあって、百合漫画なのにこういう設定で、展開でいいの?というところを躊躇なく乗り越え、心に刺さるものにして来ます。それ以外にもうまく説明できないこの作者独特の良さもあって「新刊は無条件に買う」リスト入りの作家さんとなりました。この作家デフォ買いコースに一緒にはまって欲しいなぁ、ということで既刊の内容との比較も絡めての紹介となりました。
| 固定リンク