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ダニエル・C・デネット『思考の技法』

思考の技法
直観ポンプと77の思考術

著:ダニエル・C・デネット
訳:阿部文彦+木島泰三
青土社
2015.4.9

 デネットの本はこれまでつまみ食い的に読んでいたのですが出版前に知己から「面白そうな本が出る」と教えていただいて通しで読んでみようと思ったのでした。書店で実物を見て「厚い!」「高い!」と怯んだものの、せっかくの機会ということでじっくり読んでみました。一ヶ月以上鞄の中に連れ歩き、重い想いもしましたが楽しい移動の友になってくれました。

 『思考の技法』の厚さと値段、哲学書の棚に置かれているという境遇からすると難しげなテツガクの本のような気がしてしまいますが、本国アメリカではデネットはかなり広く読まれている人だそうです。前述の出版前にこの本のことを教えてくれた方によると日本での養老孟司に近いポピュラーさなのだとか。実際、読んでみると学術書のような取っ付きにくさとは無縁で読みやすく、ユーモアや皮肉が織り交ぜられた一般向けのものでした。単に読みやすいという以上に、読み物として楽しかった。

 この本は『思考の技法』というタイトルと「直観ポンプと77の思考術」というサブタイトルが示す通りの内容です。読み始めてしばらくは「例と直観ポンプ(と著者が称するもの)への接し方」が示されるばかりでどういう内容の本なのかがよくわかりませんでした。何か強い主張があって、それをばばーんと読者に紹介する本なのかな、と誤解したまま読み始めたのです。
 もちろん、この本にも読者に持ってもらいたい、あるいは著者が抱えている世界観というか物事の考え方みたいなものがあり、それは大雑把に唯物論とか機械論に分類されるものだと思います。これがリチャード・ドーキンスであれば「創造説はこんなとこが間違ってる。唯物論はこれこれこうして世界を説明できる。どやっ」と攻撃的に主張するところでしょうが、デネットはそれほど強引ではなく言葉による論理の扱い方を様々な例——直観ポンプを中心に問題点を示し、唯物論の中でもかなり緩やかな「両立論」へと読者を誘います。
 ですが、主役は両立論ではなくあくまでも「思考の技法」。それが腑に落ちるまで「この本は何が言いたい本なんだろう……」と焦点が把握できませんでした。
 主役は直観ポンプと思考ツール。頭ではタイトルや本の中の説明でかなり早い段階でそうとわかるのですが、この種の本がたいてい備えるハッタリ込みの素晴らしい結論!を期待してしまう読者の性が邪魔をして「何が言いたい本なんだろう……」というモヤモヤを中盤あたりまで引きずった気がします。

 デネットが自説の披露をメインに据えないのは、たぶん彼が誠実な哲学者であるから。両立論、と分類される立場に自身を置くのは結論そのものは既知であって、そこに至る道筋・言葉による論理という武器こそを読者に示したいのだろうと想像できました。文中の批判や皮肉が鋭いこともあり攻撃的な人物なのだろうかと少し誤解もしたのですが、舌鋒が鋭いだけであってとても誠実な哲学者であることが伝わってきます。うまく説明できないのですが、そのデネットのスタンスに感銘を受けたのでした。

 この本では「中国人の部屋」や「哲学的ゾンビ」といった有名な問題提起について論理が成り立っているかをチェックします。これらの話題に触れて興味を持った人にはぜひこの本をお勧めしたいです。「中国人の部屋」や「哲学的ゾンビ」を知って何か釈然としないものを感じた人が多いと思いますが、その釈然としないことの原因が見えてくるのではないかと。

 私が工学系の人間であるせいか、デネットの示す唯物論的、機械論的な世界観には親しみを感じます。日本の工学分野の人であればこの本で示される内容に共感を覚える方が多いはず。デネットの使う準・意識や準・理解といった操作詞「準」のつく概念は情報処理で脚光を浴びているベイズ統計と相性が良さそうなことに気づくでしょう。教師なし学習、認知的な閉じといった人工知能近辺の技術に関心がある人もこの操作詞「準」にピンと来るのではないでしょうか。同様にソシュールのシニフィエとシニフィアン、言語の恣意性といった概念とも親和性が高いはず。つまり、デネットはこの本で突飛なアイデアを提示しているのではなく、非常に現代的で妥当な考え方、意識観、知能観を慎重で精密な“思考の技法”とともに示しているのです。
 では、この本に斬新さがないのか、というとそんなことはなく、直観ポンプを検証する緻密な論理の扱い方で機械論・両立論にとてもスマートに繋いでいくという点でスゴイのです。
 とはいえ、言葉による論理では、デネット自身も述べているように意味、生命、意識、自由意志を完璧な形では説明できてないのも事実。だからこそ、と敢えて言いたいのです。この本には感動があるよ、と。


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