カテゴリー「本の感想2015」の3件の記事

『意識はいつ生まれるのか』ジュリオ・トノーニ

意識はいつ生まれるのか

ジュリオ・トノーニ
マルチェッロ・マッスィミーニ
訳:花本知子
亜紀書房
2015.5.26

 お勧めです。

 ガザニガの『〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義』の中で紹介されていたのが本書。『〈わたし〉はどこにあるのか』も非常に興味深く読めたのですが、その中でガザニガが熱く紹介していたのがトノーニの統合情報理論で「これは!」と思い読んでみたら期待通りの大当たりでした。

 一読しての感想は「この統合情報理論ってこれまで誰も提示してなかったの?」でした。アイデアとしては王道を行く、スタンダードなものです。クロード・シャノンの情報理論を元にして情報量・複雑さに統合という考え方を加えたものでした。
 たったそれだけです。けれどこの「たったそれだけ」で情報理論は大きく変わりました。複雑と統合の差分である評価関数Φが意識の指標として浮かび上がるというのです。
  とはいえΦは計算が困難なのだとか。ノード数8程度のシンプルなモデルでさえ計算が大変で、実際の脳を対象にするとなると計算量が爆発してしまう巡回セールスマン問題のような困難さを伴うというのです。なので脳損傷患者から意識を検出しようとする臨床例ではシンプルなモデルの例と臨床例との定性的な比較——グラフの見た目——で示そうとします。非常にわかりやすく説明されていますが、それだけにまだ開拓途上で定量比較できない部分が目立った気がします。

 とはいえこの本に示されているのは「本当に誰もやってなかったの?」と思う程当たり前に思えるものでした。たぶんこれは統合情報理論が良いアイデアであるが故。意識の定量化という新たなパラダイムが示されたために旧来のあやふやな意識の扱いが一気に過去のものになってしまったという目覚ましいものでした。あるいはΦはこれまで意識とされてきたもの概念自体を大きく変えてしまうのかもしれませせん。本書の中で示されているΦの説明が既存の意識像と必ずしもぴったり一致しないような気もするからです。

 この本では統合情報理論の理屈提唱と、その理屈を脳損傷によって意識障害を負ってしまった臨床例から実地に確かめることの双方が示されます。加えてΦの応用範囲の提示。意識工学とでも名付け得るような広大なジャンルの青写真が一通り示されているのです。後に続く意識の研究者たちはトノーニの描いた地図を丁寧に耕していくことになるのでしょう。工学の定番的な展開がこの先に待っている、そう予見させるほどしっかりした土台がこの一冊には詰まっています。

 科学解説本の愛好者には「今年一番のアタリ本だから!」と強くお勧めしたいです。SF創作に携わる人で知能や意識について論じるのならば必読本となるでしょう。とにかく!面白いから!読め!といいたいです。

 超オススメ。


|

ダニエル・C・デネット『思考の技法』

思考の技法
直観ポンプと77の思考術

著:ダニエル・C・デネット
訳:阿部文彦+木島泰三
青土社
2015.4.9

 デネットの本はこれまでつまみ食い的に読んでいたのですが出版前に知己から「面白そうな本が出る」と教えていただいて通しで読んでみようと思ったのでした。書店で実物を見て「厚い!」「高い!」と怯んだものの、せっかくの機会ということでじっくり読んでみました。一ヶ月以上鞄の中に連れ歩き、重い想いもしましたが楽しい移動の友になってくれました。

 『思考の技法』の厚さと値段、哲学書の棚に置かれているという境遇からすると難しげなテツガクの本のような気がしてしまいますが、本国アメリカではデネットはかなり広く読まれている人だそうです。前述の出版前にこの本のことを教えてくれた方によると日本での養老孟司に近いポピュラーさなのだとか。実際、読んでみると学術書のような取っ付きにくさとは無縁で読みやすく、ユーモアや皮肉が織り交ぜられた一般向けのものでした。単に読みやすいという以上に、読み物として楽しかった。

 この本は『思考の技法』というタイトルと「直観ポンプと77の思考術」というサブタイトルが示す通りの内容です。読み始めてしばらくは「例と直観ポンプ(と著者が称するもの)への接し方」が示されるばかりでどういう内容の本なのかがよくわかりませんでした。何か強い主張があって、それをばばーんと読者に紹介する本なのかな、と誤解したまま読み始めたのです。
 もちろん、この本にも読者に持ってもらいたい、あるいは著者が抱えている世界観というか物事の考え方みたいなものがあり、それは大雑把に唯物論とか機械論に分類されるものだと思います。これがリチャード・ドーキンスであれば「創造説はこんなとこが間違ってる。唯物論はこれこれこうして世界を説明できる。どやっ」と攻撃的に主張するところでしょうが、デネットはそれほど強引ではなく言葉による論理の扱い方を様々な例——直観ポンプを中心に問題点を示し、唯物論の中でもかなり緩やかな「両立論」へと読者を誘います。
 ですが、主役は両立論ではなくあくまでも「思考の技法」。それが腑に落ちるまで「この本は何が言いたい本なんだろう……」と焦点が把握できませんでした。
 主役は直観ポンプと思考ツール。頭ではタイトルや本の中の説明でかなり早い段階でそうとわかるのですが、この種の本がたいてい備えるハッタリ込みの素晴らしい結論!を期待してしまう読者の性が邪魔をして「何が言いたい本なんだろう……」というモヤモヤを中盤あたりまで引きずった気がします。

 デネットが自説の披露をメインに据えないのは、たぶん彼が誠実な哲学者であるから。両立論、と分類される立場に自身を置くのは結論そのものは既知であって、そこに至る道筋・言葉による論理という武器こそを読者に示したいのだろうと想像できました。文中の批判や皮肉が鋭いこともあり攻撃的な人物なのだろうかと少し誤解もしたのですが、舌鋒が鋭いだけであってとても誠実な哲学者であることが伝わってきます。うまく説明できないのですが、そのデネットのスタンスに感銘を受けたのでした。

 この本では「中国人の部屋」や「哲学的ゾンビ」といった有名な問題提起について論理が成り立っているかをチェックします。これらの話題に触れて興味を持った人にはぜひこの本をお勧めしたいです。「中国人の部屋」や「哲学的ゾンビ」を知って何か釈然としないものを感じた人が多いと思いますが、その釈然としないことの原因が見えてくるのではないかと。

 私が工学系の人間であるせいか、デネットの示す唯物論的、機械論的な世界観には親しみを感じます。日本の工学分野の人であればこの本で示される内容に共感を覚える方が多いはず。デネットの使う準・意識や準・理解といった操作詞「準」のつく概念は情報処理で脚光を浴びているベイズ統計と相性が良さそうなことに気づくでしょう。教師なし学習、認知的な閉じといった人工知能近辺の技術に関心がある人もこの操作詞「準」にピンと来るのではないでしょうか。同様にソシュールのシニフィエとシニフィアン、言語の恣意性といった概念とも親和性が高いはず。つまり、デネットはこの本で突飛なアイデアを提示しているのではなく、非常に現代的で妥当な考え方、意識観、知能観を慎重で精密な“思考の技法”とともに示しているのです。
 では、この本に斬新さがないのか、というとそんなことはなく、直観ポンプを検証する緻密な論理の扱い方で機械論・両立論にとてもスマートに繋いでいくという点でスゴイのです。
 とはいえ、言葉による論理では、デネット自身も述べているように意味、生命、意識、自由意志を完璧な形では説明できてないのも事実。だからこそ、と敢えて言いたいのです。この本には感動があるよ、と。


|

『火星の人』アンディ・ウィアー

火星の人
アンディ・ウィアー
小野田和子訳
2014.8.22

 面白かった。派手なお話じゃないのに、ぐっと引っ張り込まれて最後まで一気に楽しく読んでしまいました。

 文庫ですが1000円超えてます。分厚いです。ハードSFです。でも難しげなことはないです。火星有人探査のお話です。
 近未来ものの火星ネタで真っ先に思い出すのは『ミッション・トゥ・マーズ』『レッドプラネット』といった愛すべき駄作臭のする映画たち。どちらも火星探査中のトラブルでサバイバルを強いられるのですが異星文明や異星生物が登場したりします。小説の『火星縦断 』もやはり火星探査&サバイバルでこちらは化石や陰謀がお話を盛り上げます。
 『火星の人』は異星文明も異星生命も陰謀もナシです。ただ、有人火星探査が行われ、主人公はひょんなトラブルでたった一人火星に取り残されます。探査用の資材はあるのですぐに死んだりはしないのですが、どう計算しても救援が来るまで生き延びられそうにない! しかも地球との連絡手段を失っていて主人公ほんとうに一人きり。なんとか独力で次の探査チームがやってくるまで生き延びねばならないようなのです。
 どうやって生き延びるかを懸命に探り、工夫に工夫を重ねて残された資材で頑張る主人公。そのやりくりと工夫だけでこんなに引き込まれるドラマが作れてしまうなんて。ハードSFとしてインチキなしで見事にサバイバルの細い綱渡りを見せてくれます。こんなの面白くないわけないじゃないか!という痛快作。
 ハードSFだけど難しげなところがないのは説明の妙もありますが、アメリカ人気質で妙に明るくちょっとおばかっぽくさえある主人公キャラに負うところが大きいようです。非常に高い技能を持つエリートであるのは宇宙飛行士としては当然、なのですがヒッピー的というかヤンキー的というかとにかく明るくノリノリな性格で困難に立ち向かい「その手があったか!」という手で問題を解決して行きます。
 「あれ?」と思うような点はほぼない非常によくできたハードSFなのですが、わずかに一点だけ気になったところがあります。冒頭で主人公が火星に取り残されるきっかけとなった暴風が175km/h≒50m/s。とてつもない突風、と思えるものの火星の大気は地球の1/100の密度しかありません。この風の持つ運動エネルギーは地球上の風に換算すると7m/s≒25km/h相当。これでトラブルが生じてしまうとしたらちょっと頼りない機材ですし、火星探査機の計測した風速では200m/s≒720km/hなんてのもあったはず。予測と対処がしづらいのはたぶん雷のような現象ではないかと思うので風をアクシデントに設定したのはちょっと失敗だったかも……と思ったのでした。「あれ?」と思うのはこの点だけ。とにかく、トラブルによって探査チームは引き上げ主人公が取り残された、というサインだと思えば良いのでしょう。面白さを損なう要素にはなっていないはず。

 量子論や相対論で読者を煙に撒いたりしないがちんこハードSFサバイバル。超オススメ。

|